生徒のいない学校は・・・

ひっそりと静まりかえった校舎。人の気配があるのは職員室だけ。やっぱり、子どもたちの姿あっての学校だ。生徒のいない学校は、外見がいくらきれいな入れ物であっても、中身のないお菓子箱と一緒、何の意味もない。

新型インフルエンザの影響で、急遽臨時休校が決まり、子どもたちは26日(水)までの間、自宅学習を余儀なくされた。何人かの生徒が、家で各教科から出された課題をやろうと思って、ハタと気づいたらしい・・・課題をやろうにも、ふだん家での学習に必要のない参考書や問題集は、学校に置いたままやん!!

そう、気持ちがあっても、それじゃ何もできないわけだ。昨日の夜に気づいて、学校に取りに来た生徒もいた。それはそれで、さすがだねぇ~ってことになるわけだが、今日になって気づいた生徒は、さあ大変・・・どうしよう?

そんな中、駆り出されたのが「お父さん」。たぶん仕事帰りだったのだろう。わざわざ学校にお寄りいただき、「実は娘の問題集が・・・」と申し訳なさそうに教室の机から問題集を取り出し、家に持って帰られた。ご苦労さんです、ホントに!!

本来ならこんなこと、何もしなくてもよかったのに、新型インフルエンザに振り回されてるって感じ。嫌だなぁ~

とはいえ、最前線で対応に追われている関係者の方々は、学校現場の比じゃないほど、苦労されていることだろう。昨日のブログでも書いたが、あくまでも相手は「自然」だ。どうなるか予想もつかない部分が多いだけに、やっかいなことだ。

でもまぁ、われわれ教職員にとっては授業がない分、ふだん後回しになっている仕事を片付けることができ、ありがたいことだと喜んでいる。また、じっくり腰を落ち着けて会議を持つこともでき、これまた有意義な時間の使い方になっているように思う。中学の先生たちは、明日が提出期限の「道徳指導案」づくりに一生懸命で、それが済めば、次はそれぞれの学年や分掌で差し迫った行事への対応など、気がつけばもうこんな時間かと驚くほど、たくさんの仕事をこなしていた。

ピンチをチャンスに!!

毎日のように副校長先生の言葉に添えられる「行動指針」だ。どんなマイナスだって、受け止め方や対応の仕方によっては十分プラスに転換することができる。今回の新型インフルエンザの件は、まさにそれを問われているといっても言い過ぎではないだろう。

このことは、子どもたちにとっても同じ・・・休校期間をどう過ごしたかで、その後の結果は大きく違ってくる。目的もなく、ダラダラと過ごすことだけはやめてほしい。


新型インフルエンザ

今日、滋賀県内でも新型インフルエンザの患者が確認されたことをうけ、感染拡大を防止するため、本校においても休校措置を取ることになった。期間は26日(火)まで。

その間、予防・感染拡大防止のため、健康管理に留意し、外出を控えるようにとの指示を出し、休校中は学校から出された課題に取り組むなどして、各自、自宅学習するよう連絡した。

高校は中間考査の真っ最中で、明日以降に予定されていた残り二日間の考査は、27日(水)と28日(木)にそれぞれ延期された。中学は、明日から行われる予定だった中体連春季大会が主催者側で中止となり、本校で開催予定だった23日(土)の開放講座が中止、26日(火)の保護者会が延期された。

まだ、大津の大学生1人が感染しただけだというのに、ここまで県下一斉に対応がなされるのは正直驚きで、今後の対応等、えらく迷惑なことになったなぁと困ったが、「感染拡大の防止」という観点からすれば、やむを得ないことだろうとは思う。

今回のこの騒動・・・。相手が新型インフルエンザということで、「妥当だ」「過敏に反応しすぎだ」などと、専門家の間でも意見が分かれている。ごもっともなことだと思う。この地球上において、我々人間があまりにも身勝手に自分たちの都合ばかり考え、自然を壊し、環境をコントロールしようとさえしている現状を見たとき、僕には・・・

おいおい人間たち。えらく好き勝手にやってくれるけど、ちょっと待て!!お前たちにも勝てないものがあるんや。ナメたらアカンで!!

・・・なんて、自然界が我々人間に対し、警告を発してくれているようにさえ思える。

自分たちが一番エライと思っているのかもしれないが、それは傲慢だろう。人間が太刀打ちできないものは、ヤマほどあるんだ。それを知り、感謝するココロをもって初めて「共存」できるのだ。


エクレアとシュークリーム

何か、買ってきましょうか?う~ん。あんパン・・・、いや、エクレアとシュークリーム!!

さっき、職員室で交わされた、キリリと鼻筋の通った男性教員2人の会話。

仕事でドタバタする中、この分じゃ、どうも深夜までかかりそうだと悟ったN先生。資料を取りに帰るついでに、晩ご飯をゲットすべく、ちょっと外に出てくるという。で・・・、そのついでに、同じように職員室に残ってるセコムラー教員♂3名に声をかけ、気を遣ってくれたわけだ。

僕を含め2人は、「ううん、いいから気にしないで・・・」。残る1人、N先生の向かいに座ってるM先生が、おもむろに言ったセリフが冒頭の一言。ラーメンとかおにぎり・・・なら、別に気も留めなかっただろうし、スッと流したに違いない。ところが、「あんパン」ならぬ、「エクレアとシュークリーム」ときたら、???ってなるだろう。

M先生のストイックさと、どこでどう結びつくのか、その甘くてとろけるようなイメージ。シューの香ばしさにバニラビーンズの甘香、そしてチョコレートのコク・・・どこから見ても、おおよそ似つかわしくない「ミスマッチ感」に、思わず笑ってしまった。

でも・・・、そこがいいんだ。M先生の魅力は、その「意外さ」にある。

どんな相手でもそうだが、予想しない反応が返ってきたりすると、驚きと同時に、新鮮な感動がココロを通り抜けていく。えっ? こんな一面もあったのか・・・。彼女なら、改めて惚れ直すのは、決まってこういう「意外さ」に触れたときだ。さっきのシーンは、まさにそれと同じ雰囲気。

う~ん、オ・ト・コ・マ・エ じゃん!!

毎日、子どもたちと接しながら感じる、喜びや悩み、不安・・・そういったものを共有しつつ、お互いに励まし合い、支え合って頑張る先生たち。夜9時半を回っても、延々と熱く、真剣に語りあう姿に、いつしか疲れも忘れてしまう。

この調子だと、今日中には終わんないかも・・・な。

語り合った言葉、積み重ねた時間、揺れたココロ、流した涙・・・びっしりと書き込まれた指導ノートのページが埋まるたびに、また一つ、教師としての経験値が、厚みと深みを増していく。

目の前の現実から逃げるな。カッコつけず、素直に、正直に、現実と対峙せよ。真の学びは、そこにある!!


俯瞰する力

物事を高いところから、幅広く見ること。大局的な視野に立って、全体像をとらえること。「バード・アイ」という言葉で表現される全体把握力は、仕事をスムーズに進めていく上で、必要不可欠な要素だ。

しかし、こういった視点が人と人との付き合い(=人間関係)にも必要だということは、意外に認識されていないというか、すっ飛んでしまっている場合がけっこうある。

仕事では非常に客観的で、持ち前の分析力を駆使してプロジェクトを進めていく人が、いざ自分のこととなると、途端に自己中心的な考えに陥ってしまう。自分の言動を客観視することが、なぜかすっぽりと抜け落ちてしまうのだ。

気がつけば、自分の都合ですべてを進めてしまっていた。自分の短所というか、改善すべき点を指摘してくれているのに、素直に聞けない。

おいおい、もうちょっと「自分自身を俯瞰してくれよ」・・・そんなふうに感じる場面ってないだろうか?

当たり前かもしれないが、好き嫌いといった「感情」や損得勘定、利害関係などが前面に出てくればくるほど、自分を客観的に見ることができなくなり、結果的に相手を傷つけてしまう。

人間だもの、仕方ないじゃないか。素直で人間味があるじゃないか。

もちろん、そうだからこそココロが揺れ、気持ちが動き、感情が深まるのだが・・・その微妙な「さじ加減」(最近よく出てくる言葉だ)を間違えると、とんでもない誤解を招いたり、大きな感情のずれができてしまったりする。

そんなこと思っているわけないじゃない。どうして、そんなふうに受け取るの? 予想しなかった口調で、相手から反応が返ってきて、初めて気づく。なんか、おかしなこと言ったっけ?

周りを俯瞰する力も、もちろん大切だ。でも、自分自身を俯瞰する力だって、同じくらい大切なのだ。

みんな、よく考えようねっ!!


降誕会(ごうたんえ)

今日は「降誕会(ごうたんえ)」。法然聖人が誕生されたことをお祝いする法要だ。

浄土宗の宗祖法然上人は、長承2年(1133)4月7日に誕生されたとのこと。花御堂(はなみどう)を作って、その中に灌仏桶を置き、甘茶を満たし、誕生仏の像をその中央に安置し、柄杓で像に甘茶をかけてお祝いする。

旧暦でなので、新暦にするとちょうど今頃にあたるということで、うちのお寺では毎年、5月の第3日曜に行われている。午後1時半からお寺へお参りし、お勤めの後、軽く食事をいただく。大切な年中行事のひとつだ。

今年は世話方さんの計らいで、大津市のボランティアグループによる、「南京玉すだれ」と「がまの油売り」の余興が披露され、子どもが特別出演するなどして、楽しいひとときを過ごした。

このボランティアグループは、仕事を持ちながら、あるいはリタイヤした後、毎週土曜日に地域の公民館で活動している仲間だということ。今日メインで頑張って下さった、水色はっぴの写真のおじさんは、某銀行を退職後、こうやって各地に出かけ、余興を披露しているとのこと。演じる表情がなんとも言えず嬉しそうで、こちらまでそのシアワセ感が伝わってくるようだった。

第二の人生・・・、こんなボランティアも、なかなかステキだなぁ~って思った。


土曜講座+開放講座+留学説明会

今日は盛りだくさんの土曜日・・・

中2、中3は「土曜講座」。毎月第1・3土曜日の午前中に行っている、授業の復習を兼ねた勉強会。

外部の小学生と中学生向けに始まった「開放講座」。小学5・6年生対象に、「英会話入門講座」「コンピュータ入門講座」「おもしろ理科実験講座」の3講座が、毎週土曜日4回シリーズで行われる。今日はその第1回目ということで、開校式の後、英会話とコンピュータの各講座がスタートした。僕の担当する理科実験は、6月13日からの開始だ。また、中学生向けには「英検対策講座」が行われ、外部の中学と本校中高一貫コースの中2・3生が参加した。

午後は、「海外留学説明会」。本校では中高一貫コースの中3生と高1生を対象に、毎年、New Zealand とCanada への一年間の長期留学を行っている。今日はその第1回目の説明会ということで、保護者を対象に留学の概要について国際教育部からの話があった。

いずれも、直接あるいは間接的に関わっている仕事ということで、ドタバタしながら一日を過ごした。

終了後は、来週火曜日から始まる、高校の中間考査の問題づくり。中学と高校にまたがって、理科と数学の2教科の授業を担当している関係で、若干違う中高の行事予定をにらみながら、今は中学、次は高校と、立場を使い分けながらの仕事は、とても大変・・・

でもまぁ・・・、ある意味それが醍醐味というか、ダイナミックな動きができて、なかなか面白かったりもするんだけどね!!


人と人との関わり

昨日のブログ・・・

職員室で、たまたま耳にした同僚の話が脳裏に引っかかり、感じるままに綴ってみた。

当然のことなんだけど、日常、目に見える光景ばかりを追っていると、その裏(というか「見えない部分」)に、神経がいかなくなる。ほんとうは、そこまでを俯瞰して捉えなければならないことなのに、表面だけ、その部分だけにココロを奪われ、間違った判断をしてしまう。

配慮、気遣い、思いやり・・・

そうったことも、すべて「物事のとらえ方」と「そこに込める想い」で決まる。周囲への「想い」がなければ始まらないが、いくら想いがあったからといって、「一方的な見方」では善意の押し売りになってしまう。

人と人との関わりって、ホント・・・難しい。

最近、よく考えることの一つに、先生たちの「子どもたちへの関わり方」がある。

いくら「丁寧に」といっても、それはやり過ぎやろ? いくら「指導やから」といっても、それは突き放しすぎじゃない?

先生も人間、子どもたちも人間。気持ちだって、さまざまに揺れる。

その加減が難しい・・・。


寄り添うこと、理解すること・・・

学校で、先生に反抗してばかりの子どもがいる。
・・・家に帰ると、何かにつけて親からきつく言われているらしい。

学校で、友だちをいじめてばかりの子どもがいる。
・・・家に帰ると、お兄ちゃんから一方的に責められているらしい。

学校で、何でも先生がしてくれるのをずっと待っている子どもがいる。
・・・家に帰ると、何から何までお母さんが面倒を見てくれるらしい。

学校で、いつも自分が一番でなきゃ気が済まない子どもがいる。
・・・家に帰ると、兄弟の誰よりも先に自分にことをしてもらえるらしい。

学校で、いつもまわりからどう見られているかを気にする子どもがいる。
・・・家に帰ると、近所の評判ばかりを気にしているお母さんがいるらしい。

学校で、困っている友だちにいつも優しく接してくれる子どもがいる。
・・・家に帰ると、寝たきりのおばあちゃんの世話をすすんでやっているらしい。

学校で、
・・・家に帰ると、

学校で目にする子どもたちの姿を表面的に捉えるだけでは、なぜそうなのか、どうしてそんなことをするのか、わからないことだらけ。

でも、ちょっと深く踏み込んで、家での様子、親や兄弟との関わりを聞くと、雲が晴れたように見えてくるものがある。

「なんだ・・・、そういうことだったのか」

「そりゃ、あんなふうになるのも当然やわ」

気持ちは行動の端々に顔を出す。注意深く観察しなくても、子どもたちの方からサインを出してくる。ちょっと接するだけで、「あれっ、何か変かも?」と思う。

でも、その原因を学校の中だけで探すのは難しい。というより、学校の中だけで探さないほうがいい。

「学校で起こったことやん。原因は学校にあるに決まってる」

「学校で解決しなくてどうするの?」

確かにそういうこともあるだろう。

でも、学校でのいろいろな出来事の多くは、その背景に「家」の存在がある。家でどんな過ごし方をしているか、どんな親子関係なのか、兄弟は? おじいちゃん、おばあちゃんは?

なかなか踏み込めないかもしれない。踏み込んだら最後、とことん付き合うハメになってしまうかもしれない。もしかしたら、自分までボロボロになってしまうかもしれない。でも、子どもたちが学校で見せた姿に、おかしさや疑問を感じるのなら、そこまでいかないとわからないことがたくさんある。

子どもに寄り添うためには、その子の生活に思いを馳せなければいけない。子どもを理解するためには、その子を取り巻く環境を知らなければならない。 学校で子どもを育てるには、家で子どもを育てている親に学ばなければならない。

いいことも、悪いことも・・・


健康第一!!

一人の先生が体調を崩し、4週間の自宅療養が必要になった。もともと身体に不安を抱えている部分があって、年度初めの無理がたたったらしい。

しばらく休養すれば大丈夫だということで、代替教員を手配するには至っていないが、彼(数学科)の担当授業を何人かの先生が分担して受け持つことになり、その分、負担が増えた。

やっぱ「元気なカラダあってのことやな~」と、我が身に置き換え、ドキッとした。

昨夜のこと・・・。セコムラーして帰ったあと、日をまたぐような感じで、日課のBeer&晩ご飯を済ませ、ちょっと仕事をして布団に入ったのが1時半過ぎ。しばらくして、急に下腹が痛くなり、トイレに行くもすぐには治まらず、そのまま我慢。

少し落ち着いたところで、布団に戻り、あとはそのまま朝まで爆睡zzzzz….. 起きたとき、多少お腹に違和感があったものの、特に痛むほどでもなく、「まぁ、いっか。ちょっと疲れてるんやなぁ~」ぐらいの感覚で、普通に朝ご飯を食べ、学校へ。

で、今日一日、多少の疲労感を感じつつも仕事を終え、22時40分にセコムして帰路につく。もちろん、いつものご褒美、Beer!!を飲みつつ晩ご飯を食べて、ちょっとまったりした後、仕事を済ませ・・・

まだちょっと、お腹周りに軽い痛みが残るものの、あとはいつもの日常…..って感じで、ふだん通り過ごしている。

確かに、もう少し早く仕事を切り上げ、カラダを休めなくちゃアカンなぁと思う。疲れが溜まってきているのも事実。もっとも、物事を楽観的に見る性格なので、精神的な疲れというよりは、まさに休養不足、肉体的な疲れが大部分なので、ちょっと休めばすぐに回復するだろう。

「あんまり若くないんやから、無理したらアカンでぇ~」という声が聞こえてきそうだが、年齢に関係なく、”健康なカラダあって初めてキチンとした仕事ができる”わけだし、自分のカラダを過信することなく、時にはやさしく労りながら、毎日を送っていかなくちゃ。

ねっ!!


今日も健在! セコムラー

現在22時37分、中学職員室に男子3名・・・仕事中。

「日が替わるまでには帰ろうね」っていうのが合い言葉になったみたい。決して褒められることではないが、毎日のようにこんな感じ。別に仕事が遅いとか、昼間にサボってるとかいうことは全然ないのに、どうしてこうなるの・・・?

まっ、今日は中学職員会議を17時から20時半までやっていたので、遅くなっても仕方がないところなんだけど、会議がない日でも同じこと。22時より早く帰れることは、まずない。

昨年、高校にいたときも、年度後半から結構遅くまで残るようになり、いつもセコムセットをして帰ることから、ついた呼び名が「セコムラー」。その栄誉ある称号を与えられたメンバーは、年度末まで変わらなかった。

今年度、中学に異動になり、セコムラー3名がこっちに移ってきた。すると、高校職員室の灯りが消える時間が早くなり、中学職員室が遅くなった。当然と言えばそれまでだけど、部署が変わっても相変わらず遅いってことは、そもそも仕事のやり方に問題があるんじゃないの?  そう思われても仕方がない。でも、現実は違う!! 仕事量が多いのだ。

よかれと思って引き受けたがために、自分の仕事を増やしていることもある。教師という仕事の性格上、ここで終わりという線引きが曖昧なこともあって、やろうと思えば際限なく仕事は増えていく。そんな「お人良しさん」が災いしてか、毎日遅くて当たり前。もっぱらそのペースで仕事をするようになった感がある。

お~い、お二人さん、そろそろ仕事終わりにしないかい?

お腹も空いたことだし、24時を回っての晩ご飯はキツイぞ。何よりも明日の仕事、睡眠不足ではアカンやろっ!!