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何を恐れるのか・・・

そろそろ硬直化した思考回路から脱してくれないか・・・

既成の枠組みは、それが維持可能な状態の中で最善解を導き出せるように作られてきたものだ。

世の流れが、自然環境をも含めて大きな変革期に入った今、従来と同じような状態で物事を進めていけないことは誰が見ても明らかなことであり、望んでも無理なことをみんな感じ始めている。

にもかかわらず、判断の拠り所は相変わらず既成の概念であり、経験則なのはなぜだろう。

何が正しいか、どの選択肢を選ぶべきか、そんなこと誰がわかるっていうの?

結局は自分自身の納得であり、拠るべきは自分の生き方じゃないの。

こうあるべきは、周囲が決めることではない。

自分が周囲に対して働きかけ、周囲を巻き込み、周囲を納得させる方向に導くことがすべてであり、それこそが進むべき道だ。

だから、敢えて安全策は求めないし、平穏無事な結果を良しとは思わない。

今は、先が見える安定期ではないのだ。

周囲がいかなる変化をしようとも、柔軟に受け止め、臨機応変かつ力強く対応し、力を合わせて乗り越えていく・・・。

そんな前向きさが、未来への希望であり、生きる証だ。


記憶に残るということ

彦根球場へ高校野球秋季大会の応援に行った帰り、某書店に立ち寄って本を買い、レジへ行ったときのこと。担当の女性が私に声をかけてきました。

女性: ポイントカーはお持ちですか?
私 : いえ、持ってませんが

(しばし間を置いて・・・)

女性: 滋賀学園の先生ですか?
私 : はっ・・・はい、そうですが
女性: △△部でお世話になっております、※※です

私 : はぁ~(と笑顔を返す)
女性: 説明会のとき、お話をされてたんで、覚えてます
私 : えっ・・・会計を済ませるまでの、ほんの数秒の会話で、最後に「ありがとうございます」と言ったか、「どうぞよろしくお願いします」と言ったか、たぶん両方言ってレジを離れたように思うのですが、ビックリしつつも、なんとなくホッコリした気分になりました。それにしても、よく覚えていてくださっています。そんなに印象深い顔でもないし、声に特徴があるわけでもないと思うのですが、驚きです。

入学されてから、特にその学年や部活に関係することを、保護者と一緒にやらせてもらったわけでもないので、本当に説明会での印象だけなんでしょう。(もしかしたら、説明会で個別にお話をさせてもらっているかもわかりませんが・・・)すごいですね。

ほんのわずかの出会いであっても、相手の記憶にしっかり残ることは、とてもありがたいことです。こちらが一方的に、良い印象をたくさん残したいと思っても、それは相手の気持ち、受け止め方しだいですから・・・。

何事も誠実に、相手の立場に立って、その時々を大事にしていかなければならないと、改めて思った出来事でした。

 


「ことば」の大切さ

青空が爽やかに晴れ渡った今日、午後はウォーターステーション琵琶へ行ってきました。河川レンジャー制度運営委員会が開かれ、自身のレンジャー活動中間報告と委員会の傍聴、その後の意見交換会・・・と盛りだくさんの内容をこなし、先ほど職場に戻ってきたところです。

運営委員や琵琶湖河川事務所の方々、レンジャー活動支援室のスタッフなどなど、立場やバックボーンの異なる皆さんとお話させていただく中で、いろいろな気づきがありました。

直接活動に関わることはもちろんですが、なかでも今日は、特に「ことば」というものに対して、その重要さを改めて感じさせられました。何かがあったわけではありませんが、発表や議論を通して、何度も「ことば」(言い方や表現も含めて)・・・がココロに引っかかりました。

結論から言えば、話しことば、書きことば、そのいずれにしても、使うときの配慮(使い方、使う意味・・・)が大切であり、ふだんから「ことばをもっと意識して」使わないとダメだなぁということです。

帰りの車の中で、運転しながらずっと「ことば」について考えていました。

何気なく言ったひと言・・・

その真意が相手にキチンと伝わらないばかりか、誤解されることもよくある話。時間が十分にあって、後で議論し「あぁ、そういうことだったのか」と納得できればいいですが、多くの場合そのままになってしまっています。

報告書や手紙、メモなどで、あまり気を留めずに使った単語・・・

書き物に慣れている方、仕事上たくさんの報告書を書かざるを得ない方、行政関係の方々なら、どんな言い回しが適切か、逆に使ってはいけない表現だとか、そういうことの訓練をある程度してきておられます。でも、ふだんの生活の中では、さほど気にせず、その場の思いつきで書いたりしています。

使った「ことば」がどういう意味を持って相手に伝わっていくか。時代の流れで、「ことば」のもつ重みが薄れ、簡略化、省略化され、テキトーに使っても何の違和感もなく、むしろその方がイケテルみたいな感覚は、どう考えてもおかしいことです。

「ことば」を正しく、丁寧に使わないから、意思疎通が十分に図れず、人間関係が希薄になり、表面やその時の気分で相手を判断し、深くつながれず、信じられないと愚痴を言い、気の合う者だけの戯言で気を紛らわせ、そのくせ自分をわかってほしいと常に甘え・・

いまの社会で起こっているさまざまな問題の根底に、コミュニケーションの道具である「ことば」を、我々自身が「軽視している」ことに気づく必要があると思います。

「言霊」というとちょっと違うかもしれませんが、それほどまでに影響力をもっている「ことば」。その意味や使い方、使う場面など、過去から受け継がれている文化的な側面も踏まえつつ、もっと大切に、生活を豊かなものに彩る素材として、正しく、丁寧に、しっかりと意識して使っていきたいと思います。

加えて、教育現場にいる人たちは、なおさらそのことをしっかりと心に留めておく必要があると思います。


基本、頼まれごとは断らない!

今日の午後、湖東中学校の先生方の校内研究会に行かせていただきました。縁あって、講師をお願いしたいとの依頼があり、行くことになったものです。

最初は気が進まないというか、自分は適任ではない・・・という思いが大きく、お断りするつもりでした。でも、ご紹介いただいた先生の顔をつぶすことになれば、それこそ本末転倒。気がついたら引き受けていました。

もちろん、行くことが嫌だという気持ちは全くなく、行けるものなら行きたかったのがホンネです。ただ、自分自身が講師として相応しいのか、先生方に意味あるアドバイスができるのか・・・ってことを思うと、即座に「ハイ」と言えなかったのです。

しかし、よくよく考えてみると、どうも、ボクは「頼まれごとは断らない」いや「断れない」性格のようです。仕事に限らず、地域のこと(自治会)やボランティア、お寺さんの役割・・・など、これまですべて引き受けてきました。

公私ともに処理できないほど引き受けてしまい、最終的には自分の時間を犠牲にしてまでやらざるを得なくなったり、そういう姿を見た身内から「あんたはいつもそうや、いいかげんに学習したらどう?」って呆れられるほど始末に悪い性分です。

でも引き受けてしまう・・・

なぜか?って、いつも思います。

考えてみるに、人が困った顔をしたり、悲しんだり、ツライ目に遭ったりするのが嫌なんです。だから、自分が「OK」っていうことで相手が満足してくれるなら、そうしよう・・・って考えてしまうんです。

ところが、引き受けてからいつも後悔します。

自信がない
期待されるような仕事ができない
私でいいのだろうか

考えれば心配事はつきません。

ばかですね。今さらそんなこと言ったって後戻りはできないわけで、最終的に「まな板」の上にのせられ、その日を迎えてしまいます。

開き直りではありませんが、そうなってくると肝が据わり、「なるようになれ!」って気持ちになります。しょせん着飾ったところで、すぐに化けの皮は剥がれてしまう。それなら、素の自分で勝負しようじゃないか・・・と。

そうして望むと、程度の差こそあれ、基本・・・結果がついてくるんです。

正直になれば、受け入れてもらえる。

世の中、そんなものです。

そういう経験が積み重なると、妙な自信というか、恥ずかしさが裏に隠れ、何事も勉強させてもらうチャンスだ思って、やりたくなってきます。

つくづく、おめでたい人間だと思います。

ん?

こんなボクに出会ってみたい・・・

そんな方がいらっしゃったら、いつでも連絡してください。

ボク自身の勉強だと思って、そのお話・・・すべて引き受けます〜っ!!


先祖のご縁を感じつつ

お盆になるまでは「あれもしよう、これもしたい」と、久しぶりの休日にワクワクしていたのに、過ぎてしまえばアッと言う間。結局、お盆行事に振り回されてしまったような感じだった。

さほど信心深いわけでもないし、昔のように「お寺さん」に対して、物心両面で過分なご奉仕をするご時世でもない。にもかかわらず、やっていることはほとんど変わらないのはどうしてだろう。

自分だけのことではない・・・

お盆は先祖の霊にふれ、ご縁を感謝し、元気で暮らしていられる自分や家族をありがたく思うひととき。そういった意識が小さな頃から染み付いていて、「手を抜く=いい加減に済ませる」ことを心が許さないのかもしれない。

だから昔のまま、多少は時代に合わせて簡素化されているものの、お寺関係の行事は生まれてこのかた全く変わっていない。基本は50年前、いやもっと昔からずっと同じに違いない。

3日間、朝昼晩とお仏壇にお膳を供え、午後5時(最終日は4時)にお寺にお参りして、お線香を手向け、手を合わせる。朝早く、お寺さんが家の仏壇にお参りにくる。

お膳の料理も基本は決まっていて、かつては完全に精進料理。お盆期間にお肉を食べるなんてことはなかった。

すべてにしきたりというか、お作法があって、なんだか堅苦しくて、気を遣ってばかり。

でも、そんなことをやっているのも、我々の世代で終わりだろう。息子や娘たちは、全くそんなことなど気にせずに、お盆休暇を満喫している。もっとも、お盆に休みが取れると決まったわけでもなく、カレンダーどおり仕事に行かなくてはならない人もたくさんいる。

お盆で、お寺参りせなあかんねん・・・

そんな言葉で許されるような時代ではなくなった。当然だと思う反面、どこか寂しいような気持ちが心をよぎる。せめてお盆くらい、日常から離れたところで自分を、自分の家族を、先祖を振り返りたい。そんな気分を失くしたくない。

そう思いつつも、また明日から忙しい毎日が始まる。


お盆の準備

明日からのお盆に向けて、ニャンコさんに見守られながら準備をしている。

浄土宗のお盆は、けっこう忙しい。世間が「お盆=レジャー」で賑わっている中、うちのお寺では13日〜15日の3日間、夕方にお墓参りがある。お泊まりでどこかへ行くなんて、絶対に無理な状況なのだ。

加えて、家の仏壇に朝昼晩のお膳(ご飯)はもちろん、かつては10時と15時のお茶(おやつ)を供えていた。ふだんより忙しく、気を遣い、出費がかさむ時期。

今でこそ「精進料理」に制限されることはなくなったが、子供の頃はお盆の期間中にお肉や魚を使った献立が食卓に上ることは、まずなかった。

何がお盆だ・・・と、愚痴のひとつも言いたくなる。

そんな、一種独特の雰囲気に包まれる数日間。先祖に思いを馳せ、ご縁に感謝し、手を合わせる。

面倒だが、なんとなく心地よい感情でココロが満たされるのは、なぜだろう。

それが当たり前だから? 子供の頃からそうしているから?

ちょっと考えてみた・・・

すると、この2文字が浮かんできた。

「感謝」

そう、お盆は先祖やご縁のあった人、さらにはいま自分の周りを取り巻くすべてのものに、「ありがたい」と感謝の念を手向ける時間なのだ。

だから「心地よい」

当たり前のことを、当たり前だと思うのではなく、ありがたいと感謝する。そんな思いを再認識する意味で、お盆は大切な行事に違いない。


ブログでないと伝えきれないこと・・・

キチンとした形で、継続してブログを書かなくなってからずいぶん経ちます。

遡れば、2000年3月29日に開設した自身のホームページがネットを通しての自己表現のスタートで、MTやWPをプラットフォームにしたブログ形式のサイトに移行するまで、そこでせっせと想いを綴っていました。

ちなみに、2007年5月1日時点のウェルカムページには、こんなことを書いていました。

このホームページは、私が今、前向きに取り組んでいる”3つ”のことを中心に、いろいろなことを皆さんと語り合えたらいいなあ・・・と思って作り始めました。”3つ”のこととは、「育てる」「 鍛える」「 交わる」。これらは、1998年頃、やがて40歳を迎える自分のことを思い、ふと考えついた、今後の自分に課した「人生の宿題」のようなものです。

どうしてそんなことを考えたのか・・・。たぶんはっきりとした理由なんてなかったと思います。ただ、「このままではいけない」、「もっと大きな自分にならなくちゃ」と、自分を駆り立てる何かに突き動かされるように、気がついたときにはそれに取りかかっていました。その頃、「フォーティーズ・クライシス」(40歳の危機)という言葉を、よく耳にしました。もしかしたら、そんなことを考えたのは、フォーティーズ・・・の不安から逃れるために私自身の心が発した、潜在的な自己防衛本能だったのかもしれません。

HP開設後、1年あまり経過した、2001年の2月末・・・。ネットを通じて地元・滋賀県彦根市に「コミュニティエフエム」を開局しようという話が飛び込んできて、その準備に関わるようになり、仕事の合間を見つけてはしだいに没頭していきました。その後1年半が経過し、ついに「エフエムひこねコミュニティ放送株式会社」設立。放送免許を取得して、9月29日(日)に正式開局しました。”取締役局長”として、仕事がスタート! トラバーユなんていうほど、決して順調なものではなく、まだまだ試行錯誤、どうなるか不安いっぱいの新たな船出・・・挑戦でした。

その後、2年あまりが経過した2004年4月末、突然、エフエムひこねを去ることになりました。理由は・・・書き上げればキリがありませんが、とにかくこのままでは自分に嘘をつくことになる・・・と。それからは、パソコン関連のさまざまな業務を請負でやりながら、次なる人生設計を考えていたところ、滋賀県東近江市に「コミュニティエフエム」局を立ち上げてくれないかという依頼があり、引き受けることにしました。

2004年の夏頃から少しずつ動き始め、母体となる会社に、正式にFM事業部を立ち上げたのが2005年4月。2005年8月1日、FMひがしおうみ(Radio Sweet)開局。事業部長として運営全般に関わり、営業はもちろん、番組のディレクターやDJも担当しました。

2006年1月、自分の番組に出演していただいたことがきっかけで、ある私立中高の先生と知り合いになり、もう一度、教壇に立ってみないかと誘われました。2006年4月、その誘いが現実になり、ラジオ局から再び学校現場へ。ほんとうによくわからない人生だと、自分のことながらあきれてしまいます。

いま2007年、2度目の教員生活2年目を迎えました。収入の面を考えると、以前の学校→パソコン業務請負→ラジオ局→今の学校・・・とだんだん悪くなっていっているのが現実ですが、お金に代えられないものがあるのも確かです。今年は、今の職場で(学校)で、何か形に残ることをしたいと思っています。それを、このホームページを通じて皆さんにもお伝えしていきます。

その後、程なくしてMTやWPをプラットフォームにしたブログ形式のサイトに移行し、2010年の6月半ばまでは、毎日ブログを更新し、それなりに読者もいてくださいました。それが、twitterを使うようになって更新間隔が空くようになり、Facebookを併用するようになってからは、完全にブログからは意識が遠のきました。

同時に、仕事で公式サイトの管理をするようになり、そこでオフィシャルなニュースを書くようになると、自分のブログの存在を忘れ、完全に放置したままになっていました。そのあたりは、このブログの過去記事を遡ってもらえれば一目瞭然です。

でも、Facebookにも限界(使う立場からの見た得手・不得手)があります。まとまった自分の意志や主張を伝えようとすると、その舞台を別のところに代えた方がいい場合があり、Facebook上で同時に語ることが難しいのです。

そんなわけで、この夏を機に、自分の思考を整理する意味で、もう一度ブログを綴っていこうと思います。どんなものになるかは今後に讓るとして、皆さんから幅広いご意見をいただければありがたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

 

<ミニ・プロフィール> ——————–

教師生活20年の後、コミュニティFMを立ち上げ、運営、番組制作、DJに携わる。それだけでは食えないので、業者の委託を受けてPCサポート業を営む。7年前、縁あって滋賀学園中高の教諭に転職、再び教育現場へ。現在、法人本部総合企画部長兼中高入試広報部長。ホンモノの学び追求、イエナプラン、熟議が気になるテーマ。琵琶湖河川レンジャーとして、行政と住民をつなぐ仕事を通じて、広く地域活性化をめざす。趣味はマラソン、写真と自転車も少し。

twitter: @yasuis  

Facebook: http://www.facebook.com/yasuis


今年のイチバン! 大阪マラソン、完走!

今年を締めくくるにあたり、10月30日に出場した第1回大阪マラソンを書き留めておきたい。

  

今回の出場にあたり、読売新聞の取材を受けた。

☆☆ 情熱教育、走る意欲も点火 ☆☆

滋賀学園中・高の教諭安居長敏さん(52)(彦根市南三ツ谷町)は「マラソンは元気の素(もと)」と話し、本番に向け、自宅近くの湖岸で走り込む。フルマラソンの自己最高タイムは、走り始めた12年前に記録した4時間26分。その更新を目指し、「できれば4時間を切りたい」と意気込む。

別の私立校の教諭だった12年前、「フォーティーズ・クライシス」(40歳代の危機)という流行語にせき立てられるように、「このままでいいのか」と危機感を募らせた。「何か、一心に打ち込めるものを」と考え、体一つで可能なマラソンを選んだ。

雨の日も雪の日も、自分を追い込むために休まず走った。生き方そのものも変えようと、2002年に学校を辞め、彦根、東近江両市域をカバーするコミュニティーエフエム放送局の設立、運営に携わった。毎日が充実している感覚はあったが、忙しさにかまけて、いつしか走ることをやめていた。

再び、転機が訪れたのは06年。番組出演で出会った滋賀学園の関係者に“職場復帰”を誘われ、4年ぶりに教壇に立つことになった。教育現場に戻り、生徒と触れ合ううち、「学校から外に出して、地域の文化や自然に学ばせるべきだ」と感じ、総合学習の時間を利用して実践することに。そうした教育への情熱が再び、「走りたい」という思いにも火を付けた。

大阪マラソンに申し込み、一度は落選したが、追加抽選で出場が決まった。忙しい仕事の合間を縫って走り込む安居さんに、感心する同僚も少なくないが、「若いと言われるのがうれしいから、いつまでも、マラソンを続けていきたい」と、若々しい笑顔を見せた。

(2011年10月28日  読売新聞)

「一緒に働きたい」と思われること

先日、サライ(6月号)を買いに行ったとき、平積みされているのが目にとまり、そのタイトル(というか、表紙のデザイン)に惹かれ、思わず一緒に買ってしまった本があります。

『「ずっと働いてほしい」と言われる人の仕事力』(山本幸美:著、ぱる出版)。

「ずっと働いてほしい」と言われる人の仕事力(山本幸美:著、ぱる出版)

特に、オビの部分に書かれた、選ばれるヒトに共通するのは「一緒に働きたい」と思われること・・・っていうコトバに魅せられてしまいました。

かつて株式会社リクルートでトップセールスとして活躍し、その後コンサルタントとして1万人以上のキャリアカウンセリングを実施してきた著者が気づいた、ビジネスマンとしての最高の評価。

「あなたにずっと働いてほしい」と言われること。

そのために大切なのは、短期の営業実績を上げることでも、企業が求めている(と思われている)キャリアを積み重ねることでも、ない。

もっと奥深い、根底にあるもの。
つまり、「日々の経験以上の『気づき』に出会うこと」。

日々の気づきの積み重ねがあなたを成長させ、「一緒に働きたい」という最高の評価につながっていくのだということを、筆者自身が経験してきた数多くの学びを通して説いています。

さて、本の内容はともかく、まさにこのことを現実に見たような出会いが、ここ何日か続いています。火曜日(10日)に出会った東京からの教育関係者もそうでした。詳しくは書けませんが、その日のTwitterに

夢・・・じゃないな、目的?信念?大切にしたいこと?生きざま?・・・を共有できる人とに語らいは、時間を忘れる。と同時に、時間以上の満足感を与えてくれる。この先に向かっての希望もあわせて。

というコメントを思わずつぶやいてしまったほど、充実した時間でした。

 ☆☆☆

そして今日、またもや「おもしろい」?、いや「ゆかいな」?・・・。う~ん、なんか違うような気もしますが、まあ、ひとことで言えば「真正面からガッツリきたでぇ~」みたいな感覚を、お互いに初対面でありながら感じ取れたような、不思議な出会いがありました。

相手は、某ホテルの営業さんです。その日は後日、本校が主催するイベントの打ち合わせで会うことになっていました。約束の午後3時、彼はやってきました。お決まりの名刺交換と簡単なあいさつの後、テーブルに対面して座り、おもむろに話を始めようとしたところ、何やら目の前でカバンをゴソゴソする彼・・・。いったいどうしたの?

「すいませ~ん」。あまりにも軽い調子で何を言い出すかと思ったら、「今日の資料のファイル、一式忘れてきました」。しばらくこちらの顔色を見て、思案しているような時間が流れた後、「これから取りに帰っていいですか?」。

いやいや、それはないでしょう。「今日は何のために来たん? 資料がなくちゃ、打ち合わせも何もできんでしょ~に!」。

普通ならそういうコトバをかけるべきなんでしょうが、どういうわけかその時のボクは「これから取りに帰るって?(この雨のなか大変やん!)」、「他のお客さんとの予定もあるんじゃないの?(少し先のことやし、今日でなくてもいいんやで!)」といったような曖昧な返事をしつつ、気がつけば二人で大笑い。 まったくもって本来の仕事とは違った次元で、一気にお互いの距離感を縮めてしまったのです。

これが彼の営業戦略だとしたらスゴイもんです。ただし、時と相手を選ばなければエライ目に遭います。それを含んだ上で、ボクを瞬時に察知し、この手に打って出たとすれば・・・、彼はかなりの大物です。

実際どうだったか、そのことも含めて彼と話した中では、全くそんな意図などなしに、素直に失態を暴露でき、謝ることができた(彼曰く「自分をさらすことができた」)ということでした。ボク自身、どちらかと言えば初対面であろうが、どんな人とも仲良しになれる性格なので、彼のとった対応がすごく自然で、思わず好きになってしまったような感じでした。

その後、資料なしにイベントの打ち合わせを一応したものの、ふだんの仕事のことや、ヒトとの関わり方(営業という立場として)、果てはともにMac(パソコン)ファンだということがわかり、パソコン談義をするかと思えば、仕事場でMacをこんなふうに使ってたで~みたいな話になったり、とにかくお互いに話が尽きなかったのです。

まるで無邪気に、大のオッさん二人が応接室の外にも聞こえようかという大声で、お互いの日常生活にも踏み込んだ話をしていたのですから不思議なもんです。 何がどう作用し、どちらがどうだったのかわかりませんが、意気投合したという言葉で語るにはちょっと違うような感覚・・・。仕事や周囲の人に対するスタンス、大げさに言えば「生き方のスタイル」が同じような安心感を、お互いに自然と感じ取っていたのかもしれません。

そういう意味では、冒頭に紹介した本にあるような「一緒に働きたい人」というのは、こんな人のことを言うんだろうなと思いました。 彼は、翌日、今度はしっかり資料を揃えて出直してきてくれました。

イベント会場としてそのホテルを使う立場のボク(お客さん)と、それを提供する立場の彼・・・。二者の関係でいうなら主客という立ち位置ですが、お互いが協力して招く最大の相手は、そのイベントに来てくださる方々(ゲスト)です。何よりも大切にしなければならないのはゲストの満足感であり、そこに視点を置かなければ何もなりません。

ゲストこそがイベントの主人公であり、そういう意味で言うとボクと彼は招く側の「仲間」だということになります。今回、 資料一式を忘れたという彼の言動の中に、そんな「一番大切なココロ」を感じさせてくれたことが、何よりもうれしかったです。

人と接する上で、何が一番大切か・・・。それがわかっている相手と一緒に仕事ができることに感謝したいと思います。


初フルマラソンの思い出

ボクのフルマラソンデビューは今から11年半前、1999年11月21日に「君のチャレンジ精神に栄光あれ!」のキャッチフレーズで開催されたチャレンジ松岡九頭龍フルマラソンでした。

ボクの初フルマラソン、ゴール!

当時所属していたランニングチームのメンバーに刺激され、初めてのフルマラソンは「この大会」と決めていました。やるからには完走をめざそうと、周囲には「今年こそはフルマラソンに挑戦するから!」と、ことあるたびに宣言し、自分にプレッシャーをかけていました。しかし、いざその日が近づくにつれて、「果たして自分にそれができるのだろうか」と、不安ばかりがどんどん大きくなって・・・。

迎えたレース当日、朝5時半前に車で自宅を出発。湖周道路を北上し、木之本から北陸自動車道に入ると、何となく雲行きが怪しくなってきました。「嫌だなあ・・・」と思っていたら、間もなく雨が降り出し、コンディションは悪くなるばかり。一方、車は順調に進み、7時過ぎには会場に到着。雨は小降りになっていましたが、風がとても強くて気持ちが萎えていきます。

九頭龍川河川敷に設けられた受付会場は、あちこちに水溜まりができていて、あっという間にシューズがドボドボ。チームのメンバー3人と合流し、一緒に開会式に参加。式の中で、来春3月に結婚する予定の小学校の先生(フル初挑戦)が、クラスの子どもたちの声援を受けながら婚約者と仲良く選手宣誓。結婚後も、こんなふうに二人で走るんだろうな・・・と思うと羨ましくなりました。

9時、いよいよレースがスタート。松村和子のデビュー曲「帰ってこいよ」の歌が流れる中、男子373人、女子75人が一斉に走り出しました。この時、参加者が申込書に書いた「ひとこと」が順に読み上げられるのもこの大会の一つの特徴で、その声に背中を押されるように元気が湧いてきて、すごく嬉しくなります。

コースは、松岡町五松橋近くの九頭龍川河川公園から福井市中橋付近まで、川沿いのサイクリングロード約10kmの区間を二往復します。途中、3カ所のエイドステーションとトイレがあり、不安はありません。また、フルマラソン初挑戦の参加者が多いこともあって、「完走請負人」とよばれる人たちが伴走してくれます。九頭龍走友会に所属する3人のおじさんランナーたちが、疲れて歩き出した選手を励ましたりアドバイスをしたりするなど、何度もコースを行き来して、制限時間6時間以内の完走を請け負ってくれます。また、それとは別に「見回り奉行」とよばれる人たちもいて、サポート体制は万全です。

さて、僕の初フルマラソン・・・。25kmぐらいまでは、5kmを28分くらいのイーブンペースで走り、その後35km手前くらいまでは少しペースダウンしたものの、5kmが30分を切るペース。この調子なら4時間を少し過ぎたくらいでゴールできるかも?なんて、一時は甘い期待が頭をよぎりましたが、やはりマラソンはそこからが正念場、最後の数キロで本当の苦しみを味わうことになりました。

膝がガクガクになり、足はほとんど上がらない。「歩け、歩け・・・」とささやく声が、どんどん大きくなっていって、ペースは急激にダウン。歩くよりも遅いような走り方しかできない中、それでもなんとか踏ん張り、やっとの思いで、目標だった4時間30分以内でゴールイン。感激の瞬間でした。

あれからいくつかのレースに出場し、ランニングをまともにやっていた1997年11月~2001年12月までの4年間で・・・

公式マラソン大会完走回数
フル(2回)、ハーフ(7回)、10km(23回)、他(7回)

ベストタイム
フル(4:26:27)、ハーフ(1:42:00)、10km(42:26)

奇しくも、初フルが一番いいタイムだなんて、なんかおかしいよなぁ~と思いつつ、2002年からはエントリーするも仕事の都合で(ちょうど20年間勤めた学校を辞めて、新しい仕事をやり始めた時期にあたります)出場できず、その後は細々と練習するのみ。

これではいけないと、10年ぶりの沈黙を破って、昨年あたりからボチボチ本格的な練習を開始し、現在に至っています。

先日(4月25日)、大阪マラソン2011の抽選結果がメールで届きました。

◇◇ 大阪マラソン2011 抽選結果(落選)のお知らせ ◇◇
このたびは第1回大阪マラソンにご応募いただき誠にありがとうございました。
お陰様をもちまして定員を大幅に上回る申込みがあり厳正なる抽選を行いましたところ、誠に残念ながら今回はご意向に沿えない結果となりました。
今後、参加料の未入金者が多かった場合には、追加当選者を出すことがございます。
その場合、7月中旬頃に再度『第1回大阪マラソン追加当選のお知らせ』にて通知させていただく予定です。
つきましては、下記に記載される『追加抽選のスケジュールについて』をご一読ください。
なお、追加当選の状況に関する問い合わせには対応できません。
また、追加抽選の結果につきましては、当選者のみの通知といたしますので何卒ご了承ください。

マラソン復帰記念にと意気込んでいた大阪マラソンでしたが、その舞台にも上がれず、残念な結果となりました。

しかし、これで引き下がっていては10年間のブランクを破った意味がありません。リベンジすべく、大阪マラソンに続いて関西圏で行われる都市型ビッグマラソン、第1回神戸マラソンにエントリー。

今度は抽選が当たりますように・・・と祈りながら、今日も約1時間走ってきたところです。