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ブログでないと伝えきれないこと・・・

キチンとした形で、継続してブログを書かなくなってからずいぶん経ちます。

遡れば、2000年3月29日に開設した自身のホームページがネットを通しての自己表現のスタートで、MTやWPをプラットフォームにしたブログ形式のサイトに移行するまで、そこでせっせと想いを綴っていました。

ちなみに、2007年5月1日時点のウェルカムページには、こんなことを書いていました。

このホームページは、私が今、前向きに取り組んでいる”3つ”のことを中心に、いろいろなことを皆さんと語り合えたらいいなあ・・・と思って作り始めました。”3つ”のこととは、「育てる」「 鍛える」「 交わる」。これらは、1998年頃、やがて40歳を迎える自分のことを思い、ふと考えついた、今後の自分に課した「人生の宿題」のようなものです。

どうしてそんなことを考えたのか・・・。たぶんはっきりとした理由なんてなかったと思います。ただ、「このままではいけない」、「もっと大きな自分にならなくちゃ」と、自分を駆り立てる何かに突き動かされるように、気がついたときにはそれに取りかかっていました。その頃、「フォーティーズ・クライシス」(40歳の危機)という言葉を、よく耳にしました。もしかしたら、そんなことを考えたのは、フォーティーズ・・・の不安から逃れるために私自身の心が発した、潜在的な自己防衛本能だったのかもしれません。

HP開設後、1年あまり経過した、2001年の2月末・・・。ネットを通じて地元・滋賀県彦根市に「コミュニティエフエム」を開局しようという話が飛び込んできて、その準備に関わるようになり、仕事の合間を見つけてはしだいに没頭していきました。その後1年半が経過し、ついに「エフエムひこねコミュニティ放送株式会社」設立。放送免許を取得して、9月29日(日)に正式開局しました。”取締役局長”として、仕事がスタート! トラバーユなんていうほど、決して順調なものではなく、まだまだ試行錯誤、どうなるか不安いっぱいの新たな船出・・・挑戦でした。

その後、2年あまりが経過した2004年4月末、突然、エフエムひこねを去ることになりました。理由は・・・書き上げればキリがありませんが、とにかくこのままでは自分に嘘をつくことになる・・・と。それからは、パソコン関連のさまざまな業務を請負でやりながら、次なる人生設計を考えていたところ、滋賀県東近江市に「コミュニティエフエム」局を立ち上げてくれないかという依頼があり、引き受けることにしました。

2004年の夏頃から少しずつ動き始め、母体となる会社に、正式にFM事業部を立ち上げたのが2005年4月。2005年8月1日、FMひがしおうみ(Radio Sweet)開局。事業部長として運営全般に関わり、営業はもちろん、番組のディレクターやDJも担当しました。

2006年1月、自分の番組に出演していただいたことがきっかけで、ある私立中高の先生と知り合いになり、もう一度、教壇に立ってみないかと誘われました。2006年4月、その誘いが現実になり、ラジオ局から再び学校現場へ。ほんとうによくわからない人生だと、自分のことながらあきれてしまいます。

いま2007年、2度目の教員生活2年目を迎えました。収入の面を考えると、以前の学校→パソコン業務請負→ラジオ局→今の学校・・・とだんだん悪くなっていっているのが現実ですが、お金に代えられないものがあるのも確かです。今年は、今の職場で(学校)で、何か形に残ることをしたいと思っています。それを、このホームページを通じて皆さんにもお伝えしていきます。

その後、程なくしてMTやWPをプラットフォームにしたブログ形式のサイトに移行し、2010年の6月半ばまでは、毎日ブログを更新し、それなりに読者もいてくださいました。それが、twitterを使うようになって更新間隔が空くようになり、Facebookを併用するようになってからは、完全にブログからは意識が遠のきました。

同時に、仕事で公式サイトの管理をするようになり、そこでオフィシャルなニュースを書くようになると、自分のブログの存在を忘れ、完全に放置したままになっていました。そのあたりは、このブログの過去記事を遡ってもらえれば一目瞭然です。

でも、Facebookにも限界(使う立場からの見た得手・不得手)があります。まとまった自分の意志や主張を伝えようとすると、その舞台を別のところに代えた方がいい場合があり、Facebook上で同時に語ることが難しいのです。

そんなわけで、この夏を機に、自分の思考を整理する意味で、もう一度ブログを綴っていこうと思います。どんなものになるかは今後に讓るとして、皆さんから幅広いご意見をいただければありがたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

 

<ミニ・プロフィール> ——————–

教師生活20年の後、コミュニティFMを立ち上げ、運営、番組制作、DJに携わる。それだけでは食えないので、業者の委託を受けてPCサポート業を営む。7年前、縁あって滋賀学園中高の教諭に転職、再び教育現場へ。現在、法人本部総合企画部長兼中高入試広報部長。ホンモノの学び追求、イエナプラン、熟議が気になるテーマ。琵琶湖河川レンジャーとして、行政と住民をつなぐ仕事を通じて、広く地域活性化をめざす。趣味はマラソン、写真と自転車も少し。

twitter: @yasuis  

Facebook: http://www.facebook.com/yasuis


ブログのリニューアル中、しばしお待ちを・・・

毎日更新といいながら、先週火曜日から新着記事がないのはどうして?って、今日も聞かれたんだけど・・・、実はいま、ブログのリニューアル中。

ほんとうは報告したい行事もたくさんあるんだけど、それをガマンして、夜中に少しずつ時間を作ってプログラムをいじっている。

ここ数年間のブログでは、学校のこと、それも対外的な行事の報告に始まり、普段の生徒たちのようす、自分のこと、教育観・・・など、とりとめもなく綴っているし、そこにプライベートな日常、地域のこと、読んだ本の紹介なんていうのも加わったりして、最近、ちょっと散漫になりすぎてるのでは・・・という気がしていた。

個人のブログなのでそれもいいかと思いつつ、一部では学校名を挙げて発信している部分もあるし、そろそろそのあたりをキチンと整理して、もう少し焦点を絞った形のブログへと発展させていきたいと、今回思い切ってリニューアルに踏み切った。

2000年3月に自分のホームページを公開し始めて10年以上経ち、ブログ歴もけっこう長くなり、もう一段ステップアップしたいというのも本音。

なかなか思うように時間が取れなくなり、その日にあったことをただ綴っているのでは芸がないし、それこそ「誰に向けて書いてるねん」ということにもなりかねない。本来のブログとは、決してそういうものではないはずだ。

ホームページにとどまらず、ブログやTwitter、facebookなど、個人が自分の思いを自由に発信する手段がどんどん拡大した昨今、携帯電話をはじめとする情報端末の普及と相まって、以前に比べかなり敷居が低くなり、何でも放り込めば読んでもらえるということにはならなくなった。

一方で、非常に限られた内容でも、コアなファンがいるというか、その道のプロが書くようなブログには大きな人気が集まり、その存在意義も大きなものになっている。

そんなわけで、今回のリニューアルは「いま自分が発信したいことは何か」を、もっともっと掘り下げ、テーマを絞って書いていきたいというのが根幹にある思いだ。

身近な行事報告もお預けになって申し訳ないが、完成次第、それも含めてアップするので、いましばらくお待ちいただければと思う。


「Twitter英語術」に用意されている仕掛け

土曜日の帰り、久しぶりに本屋さんに寄って見つけた「Twitter英語術」(晴山陽一&クリストファー・ベルトン:著、じっぴコンパクト新書)を読んでみた。

・・・というより、この本に刺激されて、「よし、自分も英語でtweetしてみよう!」という気になった。(もっとも、そう簡単にできるものではないことは、自分が一番よく知っているのだが)

さて、この本。140文字までというTwitterの字数制限を逆手にとって、英会話の苦手な日本人でも気軽に身近な英文をつぶやくことで、Twitterを英語でのコミュニケーション・ツールとして使おうというもの。英語に関する著作の多い日英の作家(晴山陽一さんとクリストファー・ベルトンさん)が協力して書き上げた、Twitterならではの言い回しや表現を、読むだけで楽しみながら学べるストーリー型文例集になっている。

さらに、ただの文例集なら単なる参考書どまりだが、「この本には世界に前例のない”仕掛け”が用意されている」(p.8)。

なんと、「本書に登場する5人のキャラクターのアドレスはTwitter上に現実に存在し、読者は各キャラクターのタイムラインを実際に読むことができる」というのだ。「このような、バーチャルとリアルが交錯し、読者がその展開をリアルにTwitter上でフォローできる仕掛けは世界初の試み」らしい。

もちろんボクも、さっそく5人の登場人物をフォロー。山下啓太 と アンジェラ・クローフォードという中心人物を手始めに、tweetをたどり始めたところ。

また、この本にはコラムとして、「英語 Twitter のコツ」 (MINORI さんに聞く)という、英語tweet初心者には心強い体験談が載っている。

著者の晴山さんが、Twitterを通して得た友人のひとりであるというMINORI さん が、たった半年でいかにして海外に多くの友人をつくることに成功したか。そのコツを、自らの体験をもとに丁寧に説明している。このコラムだけでも読む価値十分だ!

もちろん、すぐにMINORIさんをフォロー。しばらくして、向こうからもフォローを返してくださったので、はやくもつながりができた。こういうリアルタイムな関係性もTwitterのいいところ。

とはいえ、本を読んだだけで英語でのコミュニケーションができるわけではない。何よりも日々の積み重ね・・・がんばって英語でtweetしていくほかに、上達の道はない!

今日の成果は、数回の英語tweet。まだまだ道は遠いようだ・・・


自分なりの評価軸だけで、どこまで納得できるか・・・

職員室の机からふと顔を上げると、一面に黄色の花が咲いている写真。弥生3月、そんなイメージいっぱいの景色・・・。

「そやな、春なんやな~」。

一瞬、ココロが和む。

職員室の掲示板に貼ってある、某旅行会社のカレンダーがそれ。菜の花だろうか、遠くの山並みをバックに柔らかな黄色に色づいた大地が広がっている。いま気づくなんて、ちょっと気持ちに余裕がないんじゃないの?

自問自答してみる。

確かにそうかもしれない・・・

授業やテスト準備など、すぐ目の前の現場対応から、対外的な書類作成、今年度の総括、来年度の準備など、視点の違ういろいろな仕事が一気に押し寄せるこの時期、僕だけに限らずすべての教職員が「忙しく」なる。

それに加えてプロジェクト。これこそ思いっきり大きな視点で考え、具体策を構築していかなければならない作業であり、気持ちの上でもたくさんの矛盾を抱えながら、落ち着かせどころを探っている状況だ。理論で片付くのならたやすいが、感情の部分が大きなボトルネックになっていて、疲労感が何倍にも増幅される。

やった分の仕事は、正当に評価して欲しい・・・。そんな愚痴の一つも言いたくなる。

そんな心中を察してか、偶然にもTwitterで@akinorimesuさんの、こんなつぶやきが飛び込んできた。

「うちの職場…教員って民間企業のような評価制度がないです。なので、やってもやらなくてもなんら評価されない。やってもきりがない。やれる人は深夜まで仕事する。私は、どこまでやればいいのか、今の悩み。 #wmjp」

さっそく、僕もつぶやき返す・・・

「 うちもそう。私学だし、それじゃアカンやろ~ということで声を上げているけど・・・進展せず、かな?RT @akinorimesu: うちの職場…教員って民間企業のような評価制度がないです…..」

すると、 @akinorimesuさんからの返信はじめ、どんどんメッセージが飛び込んでくる・・・

「うちも私学です。公立はあるみたいですね。」

「高校ですよね? 神奈川県立高校は評価制度あります。もうどこでもあるのかと思っていました。うまくいっているとは思えませんが、給与にも反映されます。」

「へええ~!!私学はバラバラかもです。」

「うちは、担任が激務なのでドクターストップの人も、主任も同じお給料。」

「進学実績は目に見えやすいですね。RT @k_sporon: 保護者からサーベイ取るとか、第一志望校に●人合格させる」とか…笑」

神奈川県立高校は評価制度があると聞いて、「やるなぁ~、実際どれほど違うんやろう・・・」と思っていると、@perryonoさんから

「ボーナスや昇給に関わります。せいぜい数パーセントなのであまりみんな気にしてない感じですが、悪い方に査定されて納得している人もあまりいないだろうな」・・・と。

いくら数パーセントとは言え、きちんと勤務が評価がされ、サラリーにまで反映されていることはすごくうらやましい。何を基準に、どういう評価がされているのか、もっと具体的に知りたいところだが、少なくともうちよりは進んでいる。

主任も同じ給料の学校もあれば、きちんと評価される学校もある。いったいどちらがいいのか・・・。@akinorimesuさんは、これら一連のつぶやきを読んで、自身のブログでこう語っている。

☆教育の仕事は「やってもやってもきりがない」とよく言われるのでそんなものかもしれませんが・・・。もう他人と比較するのはやめて、自分なりの評価軸を作って、自分の中で評価するのが今のところのベストなのかもしれません。(全文→ 【評価制度ない職場】自分で評価軸を作るか・・・

僕も、引き続き考えてみよう。


WEB公開による「自分探し」が人生の転機?

Twitterを始めるようになって、今まで知らなかった方々との交流が少しずつ生まれてきた。WEB→Blog→Twitterと、そのダイナミックさが拡大するにつれて、僕自身の考え方もどんどんオープンかつ直感的で、自分に正直になってきているなってきている。

そんなことを考えていて、無性に自分を振り返ってみたくなり、自身の拙いWEBサイト『Chit-chat!』の紹介ページ「ようこそ My HomePageへ」を開いた。

このたびは、当ホームページにお立ち寄りいただき、ありがとうございます・・・で始まる一文は、なぜこのホームページを開設するに至ったか、そのTurning pointとなった心の動きのようなものをダイジェストで記している。

☆このホームページは、私が今、前向きに取り組んでいる”3つ”のことを中心に、いろいろなことを皆さんと語り合えたらいいなあ・・・と思って作り始め、2000年3月29日にオープンしました。

☆”3つ”のこととは、「育てる」「 鍛える」「 交わる」。これらは3年ほど前、やがて40歳を迎える自分のことを思い、ふと考えついた、今後の自分に課した「人生の宿題」のようなものです。

☆どうしてそんなことを考えたのか・・・。たぶんはっきりとした理由なんてなかったと思います。ただ、「このままではいけない」、「もっと大きな自分にならなくちゃ」と、自分を駆り立てる何かに突き動かされるように、気がついたときにはそれに取りかかっていました。

☆その頃、「フォーティーズ・クライシス」(40歳の危機)という言葉を、よく耳にしました。もしかしたら、そんなことを考えたのは、フォーティーズ・・・の不安から逃れるために私自身の心が発した、潜在的な自己防衛本能だったのかもしれません。

最初は、100%自己満足のような、今にして思えば「何書いてるねん」と恥ずかしくなるような内容だったが、自分自身の行動や思いを外部に公開することで、少なくとも思考の方向性が「外向き」になったことは間違いない。

☆HP開設後、1年あまり経過した、昨年(2001年)の2月末・・・。ネットを通じて地元・滋賀県彦根市に「コミュニティエフエム」を開局しようという話が飛び込んできて、その準備に関わるようになり、仕事の合間を見つけてはしだいに没頭していきました。

☆以来1年半が経過し、ついに「エフエムひこねコミュニティ放送株式会社」設立。放送免許を取得して、9月29日(日)に正式開局しました。”取締役局長”として、仕事がスタート!トラバーユなんていうほど、決して順調なものではなく、まだまだ試行錯誤、どうなるか不安いっぱいの新たな船出・・・挑戦でした。

☆その後、2年あまりが経過した2004年4月末、突然、エフエムひこねを去ることになりました。理由は・・・、書き上げればキリがありませんが、とにかくこのままでは自分に嘘をつくことになる・・・と。

それまで勤めていた私立高校を辞め、飛び込んだ世界だった。決して多いとは言えない退職金を会社設立の資金としてつぎ込み、純粋に「やりたい」という半ば勢いだけで突き進んでいた感じだった。

その認識は甘く、当然無理が生じる。24時間365日勤務のような激務でありながら、収入は少ない。人間関係も複雑で、他人より少しでも前に出て、自分を認めてもらわなければ仕事がこない業界に、今まで経験したことのない不信感恐も覚えた。

とはいえ、その世界にあってはそれは至極当然のことであり、受け入れられない人間は生きていけない。より深く人を見てつきあっていくなかで、「人間の信用」とは何か、大げさに言えば「生きる」とはどういうことかということまで考えた。

家族があり、子どもがいて、介護が必要な父がいる中で、自分だけがこんなことをしていていいのか・・・。やりたかったことはこんなことではなかったはずだ・・・。そんなことばかりを考える自分がそこにいた。

☆それからは、パソコン関連のさまざまな業務を請負でやりながら、次なる人生設計を考えていたところ、滋賀県東近江市に「コミュニティエフエム」局を立ち上げてくれないかという依頼があり、引き受けることにしました。

また同じ世界に戻るのか・・・。そんな不安がなかったわけではないが、それ以上に中途半端でやり残したことを、もう一度原点からやり直したいという思いの方が強く、再びラジオの世界に足を踏み入れた。

☆2004年の夏頃から少しずつ動き始め、母体となる会社に、正式にFM事業部を立ち上げたのが2005年4月。2005年8月1日、FMひがしおうみ(Radio Sweet)開局。事業部長として運営全般に関わり、営業はもちろん、番組のディレクターやDJも担当しました。

☆2006年1月、自分の番組に出演していただいたことがきっかけで、ある私立中高の先生と知り合いになり、もう一度、教壇に立ってみないかと誘われました。2006年4月、その誘いが現実になり、ラジオ局から学校へトラバーユ。ほんとうによくわからない人生だと、自分のことながらあきれてしまいます。

☆2007年、2度目の教員生活2年目を迎えました。収入の面を考えると、以前の学校→パソコン業務請負→ラジオ局→今の学校・・・とだんだん悪くなっていっているのが現実ですが、お金に代えられないものがあるのも確かです。

☆今年は今の職場(学校)で、何か形に残ることをしたいと思っています。それをこのホームページで、皆さんにもお伝えしていきます。(2007/05/01)

教壇に戻り2年目を迎えた春、ここまで書いて自己紹介めいた話は終わっている。ちょうど中高一貫コース高1のクラス担任をしはじめた時だ。47歳で久しぶりのクラス担任。まるで新任のようなワクワク・ドキドキ感があった。

その後、学年が高2に上がると同時に学年主任(2008年度)。3年に進み、いざ最終学年を締めくくるのかと思えば、中高一貫コースの再構築に中学部へ異動。教務主任として中学全体を眺める立場になった(今年・2009年度)。

と同時に改革プロジェクトが立ち上がり、そのリーダ役を引き受け、現在に至っている。このあたり、最近のことはBlogを読んでもらえればよくわかるだろう。

とにかく目まぐるしく、担当分掌というか、仕事が変化している。教育現場ということで基本的には狭い世界だが、一度外の世界で大きく羽ばたきすぎた僕にとっては、狭い世界に我慢できなくて、思考や行動がどうしても広くなりがちだ。

でも、それでいいと思っている。この閉塞感漂う学校現場において、少なくとも前向きに元気で、幅広いものの考え方をしないとつらくて仕方がない。

世の中は世界規模でダイナミックに動いている。インターネットの世界に至っては、距離や時間に関係なく双方向のコミュニケーションが可能で、あらゆる仕組みが大きく変わりつつある。

そんな中で、考え方だけが旧態然としていてうまくいくはずがない。教育現場とてそれは同じことだ。むしろその先端を行くくらいの心がけが必要だろう。だって、次代を担う子どもたちを育てているのだから・・・。

こんな思いを持たせてくれた人生の転機。いくつか大きな山はあるが、きっかけはWEB公開だったことを改めて思った、今日の夜だった。


Sidebar-widget of Twitter

昨夜、このブログに、TwitterのサイドバーウィジェットTwitter Toolsをつけた。

記事をアップすると自動的にtweetしてくれるが、URLの短縮に使うのが初期設定でis.gdだったので、それをBit.lyに変更。

この投稿は、それがうまく機能するかのテスト・・・。さあ、どうかな?

ん? ダメか・・・

手直しをして、再チャレンジ。
うまくいくか、どや?


ツイッター(twitter)活用法、模索中

今日は中学B日程入試。頑張る受験生のために、こちらも朝早くから受け入れ準備完了!・・・ってことで無事に終わり、残るは2月13日(土)のC日程入試だ。

さて、話は変わるが、以前からその有効な使い方を模索していた「twitter」を正式に始めた。

登録名は、yasuis 。

個人的な意見はもちろん、学校のことについてもいろいろな情報や意見をつぶやいていきたいと思う。

まだ駆け出しで、これといった効果的な使い方ができているわけではないし、仕事中はいつでも自由につぶやくわけにもいかないが、今後、有効な使い方を探りつつ、学校の広報ツールのひとつとして役立てていければと考えている。

さしあたって、このブログを読んで下さっている皆さんに・・・まずは @yasuis のつぶやきを覗いてもらえたら幸いだ。


ついつい読んでしまう『校長日記』

本校の話ではない。

先日も中高一貫「教員通信」にその一部を紹介した、浪速中学校高等学校長木村智彦先生のblogがそれ。

学校の公式サイトからリンクされていて、日々の思いを包み隠さず、ありのままに綴っておられる。正直、ここまで書いていいの?と思うくらい、オープンだ。もっとも、学校の公式サイトに掲載されている記事そのものにも、開放感というか、情報開示の姿勢は十分感じ取れる。

2002年4月、住友金属工業の関連会社の取締役から、大阪府内初の民間人校長として府立高津高校に赴任した木村智彦氏。その強引ともいえる改革に一部教員が反発、2006年3月「現場の混乱を避ける」ために辞任。

同年12月に、浪速中学校高等学校を運営する学校法人大阪国学院の理事長に就任し、2007年4月からは同校の校長も兼任されている。

「教員の力で学校は変わる」と、強力なリーダーシップで改革を次々と推し進め、つい先日も関西大学との連携を発表したばかりだ。

日刊で発信されている、このblog・・・

文字がギュッと詰まっている感じで、行間も狭くて、少々読みづらいと言えなくもないが、それ以上に内容が充実。文体も秀逸で、正論満載、読み応え十分。教育の確信に迫る勢いで、なかなか面白い。

ある意味、自分もこうなりたいとさえ思う”憧れの人”!

そのエッセンスを学ぶ意味でも、バイブルにしたくなるような日々の思いや教育観など、まさに等身大の「校長像」が綴られている。

それにしても・・・ 正直、思う。「ここまで書いていいんかい?」