WEB公開による「自分探し」が人生の転機?

Twitterを始めるようになって、今まで知らなかった方々との交流が少しずつ生まれてきた。WEB→Blog→Twitterと、そのダイナミックさが拡大するにつれて、僕自身の考え方もどんどんオープンかつ直感的で、自分に正直になってきているなってきている。

そんなことを考えていて、無性に自分を振り返ってみたくなり、自身の拙いWEBサイト『Chit-chat!』の紹介ページ「ようこそ My HomePageへ」を開いた。

このたびは、当ホームページにお立ち寄りいただき、ありがとうございます・・・で始まる一文は、なぜこのホームページを開設するに至ったか、そのTurning pointとなった心の動きのようなものをダイジェストで記している。

☆このホームページは、私が今、前向きに取り組んでいる”3つ”のことを中心に、いろいろなことを皆さんと語り合えたらいいなあ・・・と思って作り始め、2000年3月29日にオープンしました。

☆”3つ”のこととは、「育てる」「 鍛える」「 交わる」。これらは3年ほど前、やがて40歳を迎える自分のことを思い、ふと考えついた、今後の自分に課した「人生の宿題」のようなものです。

☆どうしてそんなことを考えたのか・・・。たぶんはっきりとした理由なんてなかったと思います。ただ、「このままではいけない」、「もっと大きな自分にならなくちゃ」と、自分を駆り立てる何かに突き動かされるように、気がついたときにはそれに取りかかっていました。

☆その頃、「フォーティーズ・クライシス」(40歳の危機)という言葉を、よく耳にしました。もしかしたら、そんなことを考えたのは、フォーティーズ・・・の不安から逃れるために私自身の心が発した、潜在的な自己防衛本能だったのかもしれません。

最初は、100%自己満足のような、今にして思えば「何書いてるねん」と恥ずかしくなるような内容だったが、自分自身の行動や思いを外部に公開することで、少なくとも思考の方向性が「外向き」になったことは間違いない。

☆HP開設後、1年あまり経過した、昨年(2001年)の2月末・・・。ネットを通じて地元・滋賀県彦根市に「コミュニティエフエム」を開局しようという話が飛び込んできて、その準備に関わるようになり、仕事の合間を見つけてはしだいに没頭していきました。

☆以来1年半が経過し、ついに「エフエムひこねコミュニティ放送株式会社」設立。放送免許を取得して、9月29日(日)に正式開局しました。”取締役局長”として、仕事がスタート!トラバーユなんていうほど、決して順調なものではなく、まだまだ試行錯誤、どうなるか不安いっぱいの新たな船出・・・挑戦でした。

☆その後、2年あまりが経過した2004年4月末、突然、エフエムひこねを去ることになりました。理由は・・・、書き上げればキリがありませんが、とにかくこのままでは自分に嘘をつくことになる・・・と。

それまで勤めていた私立高校を辞め、飛び込んだ世界だった。決して多いとは言えない退職金を会社設立の資金としてつぎ込み、純粋に「やりたい」という半ば勢いだけで突き進んでいた感じだった。

その認識は甘く、当然無理が生じる。24時間365日勤務のような激務でありながら、収入は少ない。人間関係も複雑で、他人より少しでも前に出て、自分を認めてもらわなければ仕事がこない業界に、今まで経験したことのない不信感恐も覚えた。

とはいえ、その世界にあってはそれは至極当然のことであり、受け入れられない人間は生きていけない。より深く人を見てつきあっていくなかで、「人間の信用」とは何か、大げさに言えば「生きる」とはどういうことかということまで考えた。

家族があり、子どもがいて、介護が必要な父がいる中で、自分だけがこんなことをしていていいのか・・・。やりたかったことはこんなことではなかったはずだ・・・。そんなことばかりを考える自分がそこにいた。

☆それからは、パソコン関連のさまざまな業務を請負でやりながら、次なる人生設計を考えていたところ、滋賀県東近江市に「コミュニティエフエム」局を立ち上げてくれないかという依頼があり、引き受けることにしました。

また同じ世界に戻るのか・・・。そんな不安がなかったわけではないが、それ以上に中途半端でやり残したことを、もう一度原点からやり直したいという思いの方が強く、再びラジオの世界に足を踏み入れた。

☆2004年の夏頃から少しずつ動き始め、母体となる会社に、正式にFM事業部を立ち上げたのが2005年4月。2005年8月1日、FMひがしおうみ(Radio Sweet)開局。事業部長として運営全般に関わり、営業はもちろん、番組のディレクターやDJも担当しました。

☆2006年1月、自分の番組に出演していただいたことがきっかけで、ある私立中高の先生と知り合いになり、もう一度、教壇に立ってみないかと誘われました。2006年4月、その誘いが現実になり、ラジオ局から学校へトラバーユ。ほんとうによくわからない人生だと、自分のことながらあきれてしまいます。

☆2007年、2度目の教員生活2年目を迎えました。収入の面を考えると、以前の学校→パソコン業務請負→ラジオ局→今の学校・・・とだんだん悪くなっていっているのが現実ですが、お金に代えられないものがあるのも確かです。

☆今年は今の職場(学校)で、何か形に残ることをしたいと思っています。それをこのホームページで、皆さんにもお伝えしていきます。(2007/05/01)

教壇に戻り2年目を迎えた春、ここまで書いて自己紹介めいた話は終わっている。ちょうど中高一貫コース高1のクラス担任をしはじめた時だ。47歳で久しぶりのクラス担任。まるで新任のようなワクワク・ドキドキ感があった。

その後、学年が高2に上がると同時に学年主任(2008年度)。3年に進み、いざ最終学年を締めくくるのかと思えば、中高一貫コースの再構築に中学部へ異動。教務主任として中学全体を眺める立場になった(今年・2009年度)。

と同時に改革プロジェクトが立ち上がり、そのリーダ役を引き受け、現在に至っている。このあたり、最近のことはBlogを読んでもらえればよくわかるだろう。

とにかく目まぐるしく、担当分掌というか、仕事が変化している。教育現場ということで基本的には狭い世界だが、一度外の世界で大きく羽ばたきすぎた僕にとっては、狭い世界に我慢できなくて、思考や行動がどうしても広くなりがちだ。

でも、それでいいと思っている。この閉塞感漂う学校現場において、少なくとも前向きに元気で、幅広いものの考え方をしないとつらくて仕方がない。

世の中は世界規模でダイナミックに動いている。インターネットの世界に至っては、距離や時間に関係なく双方向のコミュニケーションが可能で、あらゆる仕組みが大きく変わりつつある。

そんな中で、考え方だけが旧態然としていてうまくいくはずがない。教育現場とてそれは同じことだ。むしろその先端を行くくらいの心がけが必要だろう。だって、次代を担う子どもたちを育てているのだから・・・。

こんな思いを持たせてくれた人生の転機。いくつか大きな山はあるが、きっかけはWEB公開だったことを改めて思った、今日の夜だった。


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