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ある意味、原点かも・・・

仕事に追われていて、ずっと放置したままだった書斎机周りの掃除をしていたら、懐かしい新聞が出てきた。

平成14年(2002年)9月27日金曜日の産経新聞、26面(滋賀版)


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コミュニティFM 29日、彦根で開局 県内初の地域密着放送へ

彦根市内に県内初のコミュニティFM局「エフエムひこねコミュニティ放送」(周波数78.2)が二十九日、開局する。現在、スタッフは本番に向け、スタジオから生番組のテスト放送を行うなど準備も万端。”市民が主役”を目指した地域密着型の本放送が午後二時十五分、オン・エアされる。

地域密着型の放送局を住民の手で地元・彦根につくりませんか」。昨年二月、インターネットにこんな呼びかけが流れた。これに彦根市内の商店主やサラリーマンら六人が賛同。六人はさっそく委員会を立ち上げ、開局の準備を進めることに。県内初のコミュニティFM開局への住民の期待は大きく、番組制作を支援するサポーター、スポンサーなどもしだいに集まり始めた。そして近畿総合通信局(大阪市)に申請していた念願の放送免許が今月、ようやく交付され、正式にFM局としての認定を受けた。

同市立花町のビル二階にあるスタジオで準備を進める正スタッフの数は現在、十人。DJ、ディレクター、技術スタッフら、ほとんどが放送に関しては未経験者というが、「みんな音楽好きで放送に情熱をもつものばかり。いい番組ができるはずです」と局長の安居長敏さん(四二)は本放送へ意欲を見せる。

安居さんは元高校の生物の教諭。音楽好きとFM局開局への思いが高じ、今年三月、県内の私立高校を退職した。開局に向けて、九州など全国のコミュニティFM局を回り、運営方法などを学んできた。当初、ミキサーなどの技術職を希望していたのだか、現在の肩書は取締役で局長。

「小所帯なので何でもこなさないといけない。スポンサー集めなど運営を軌道に乗せるまで大変ですがやりがいがある」と安居さん。テスト放送の反応も上々といい、「リスナーから『仕事中に聞いています。今、流れていた曲の名前を教えてください』など問い合わせも多く、身近に接してくれるのがうれしい」と話す。

受信対象エリアは彦根市と犬上郡三町だが、周辺地域でも受信が可能。番組内容は地域情報などの自主制作番組やCS配信の音楽番組など。また、彦根市、犬上郡の防災情報なども二十四時間体制で放送する予定だ。

さらに”コミュニティ局ならでは”のコーナーも。平日の午後九時から深夜零時までの「サポーターズ・フリーボックス」のコーナーは一般市民に番組枠が提供されるという。現在、県立大生や同市在住のDJの情報番組などが予定されており、まだまだ企画を募集中。「DJになりたいという夢がかなうかも・・・。みんなで作る番組。気軽に応募してほしい」とスタッフは呼びかけている。

あれから、ずいぶん時間が経ったなぁ~と、ほんとうに昔のようにさえ思える当時の日々・・・。20年間勤めた学校を辞め、飛び込んだ未知の世界。

今にして思えば、その後の波瀾万丈の人生が、現在の自分を作ってくれたような気がして、いつまでもココロの中に生き続ける「生きる強さ」みたいなものを与えてくれるきっかけになったことは間違いない。

県内2つのコミュニティFM局の立ち上げ、パソコンのオンサイトサポートを中心とした個人事業・・・。教師時代とは180度違った時間の流れや対応に、どんどん自分が変わっていくのを感じた。

再び教職に戻って4年目。その経験が今になって大いに自分を助けてくれている。人生、どんなことでも経験に勝る「師」はない。20年の教師生活を経て下した当時の決断が、今の自分の強さの原点であることを嬉しく思う。


「当たり前」って何だろう?

当たり前のことを、当たり前にやっているだけ・・・

多くの成功者や、業績を上げている企業のトップなどが、輝かしい結果を成し遂げた理由として、よく言うセリフだ。

裏を返せば、当たり前のことを、当たり前にやらないから、うまくいかない・・・

でも、いったい「当たり前」って何? どういうこと?

挨拶、掃除、礼儀、人を大切にする、正直、努力、素直、尊敬・・・言葉で説明するにはあまりにも不十分。

簡単なようで、とても奥深く、難しいようで、きわめて単純な

でもしかし、誰に聞いても「そうだね」って納得できること。それが「当たり前」ってこと。


カラダもココロも強くなれ!!

“The resistance that you fight physically in the gym and the resistance that you fight in life can only build a strong character.”- Arnold Schwarzenegger

そう・・・。あの、シュワちゃん(なんて呼ぶのは失礼やね)の言葉だ。アクション俳優から政治家、実業家に転身。現在は、カリフォルニア州知事として活躍中なのは、誰もが知るところ。

しかし、いいこと言ってるよね~

ジムにおいて身体にかかる抵抗と、人生においてふりかかる抵抗に、立ち向かうことこそが、強い人間を作り出す。まさに、その通りだ。「抵抗」は嫌だし、できればない方がいいし、抵抗勢力なんて言われたら、どう対峙しようか悩んで眠れない。

でも、恐れてはいけない。どんな些細なことであっても、何かことを起こせば、必ず抵抗が出てくる。それが世の常だ。どんなに良いことでも、どんなに素晴らしいものであっても、全く抵抗がないってっことは、まあ100%あり得ない。
よく考えてみてほしい・・・飛行機は、空気抵抗があるから飛べるんだって。

使い古された、たとえ話を引用して恐縮だが、こういうことだ。滑走を始めて、どんどん飛行機のスピードが上ってくる。そうすると、しだいに強い抵抗が機体にかかってくる。それに負けて、スピードを落とせば離陸失敗。抵抗に負けず、さらにもっとスピードを上げると・・・そう、機体が浮き上がる。

抵抗を感じたところで、止まってはいけない。そこが飛翔の始まりであって、さらに突き進むから、大きな飛躍がある。飛行機はみごとにそれを証明している。

振り返って、最近の風潮はどうだろう・・・。少しでも抵抗から逃れることが、さも良いかのごとく、できるだけ楽をして、危ない目に遭わないように、疲れないように、苦労しないように、いじめられないように、痛くならないように・・・

すべて、「~し過ぎないように」のオンパレード!そんなに「過ぎる」ことが、いけないことなの?

マラソンのトレーニングは、限界を超えたところにその真髄がある。しんどいからと言ってそこで止めて、どうして身体が鍛えられよう。苦しい、もう我慢できない・・・。あと100メートル、もう100メートル・・・。ダメだ、足が折れそう・・・

一流選手は、限界を超えても止めない。限界を超えたちょっと先まで、我が身を鍛え上げる。

そこで初めてカラダが気づく・・・「ツヨクナラナクッチャ」

ココロだって同じだ。


時間がないといいながら・・・

input より output が先だと言っておきながら、このところ、本を読みたくて仕方がない。もはや乱読に近い。

小説ではなく、ジャンル的には「ビジネス書」の類。毎週のように、Amazonのお世話になって2~3冊をゲット。寝る前、朝起きてから、学校の朝読書の時間・・・などちょっとした時間を見つけては、ページをめくっている。マッサージをすれば肩凝りがほぐれるように、凝り固まった思考や、行き先の見えない目標がクリアになり不思議と脳ミソの疲れがとれていく。

いま読んでるのは『IF思考』(松本道弘:著、光文社ペーパーバックス)。気の利いたコメントができれば、書評も可能だろうけど・・・まずは現場での output に使いたい。


inputとoutput

たくさん息を吸い込もうとすれば、どうすればいいか・・・答えは、できるだけたくさん息を吐き出すこと。

「腹式呼吸」で大切なことは、いかに息を吸うかではなく、いかに息を吐くかということだ。吐くことができれば、勝手に吸うことができる。

英語がしゃべれるようになりたいと思って、いろんな参考書を買い、毎日、嫌になりながら一生懸命フレーズを暗記したところで、実際に声を発して、使わなければ身につかないし、上達しない。

勉強したから話せるようになるんじゃなくて、しゃべる機会があるから、どういう言い回しが適切なのか知りたくなり、覚えようとするのだ。

英語に限らず、どんな勉強だって同じ。誰かに伝えたいから、表現したいから学ぶのだ。

お腹が空くから、美味しくご飯が食べられる。ギュッと絞ったスポンジだから、たくさん水を吸い込んでくれる。カラカラに乾いた土だから、どんどん水がしみこんでいく。

資料をたくさん集めても、レポートは書けない。集めれば集めるほど、どれを使って、どうまとめればいいか悩む。反対に、書きたいことが決まっていれば、話は早い。
必要な資料を探せば、それでいい。

日本人は、inputが好きらしい・・・

自分の周りに、できるだけ多くのモノや情報、ヒトを集めたくなる。でも、集めれば集めるほど収拾がつかなくなり、コントロール不能。結局は使いこなせずに、放置されるだけ。

そうじゃないだろう・・・発想を180度変えてみたらどうだ。

すべてを、outputから始める。そうすると、自ずと必要なヒトやモノ、情報が見えてくる。それも無駄なく、クリアに。

ほんとうは、きわめてシンプルなのだ。

必要だから、取りこむ・・・

必要でないモノは、近づけない・・・

ただ、それだけ。

 


ささやかな楽しみ

庭の木々や草花が青々と葉を広げる季節。ちょっと手を抜くと、雑草が顔を出す。

ランニングの後、気になったので草引きをやり始めたら、枝の剪定もした方がいいなぁ~と、ついつい深みにはまってやめられなくなってしまった・・・。

喉が渇いた。こんな時は、やっぱりBeerだ!!仕事をした後は最高じゃん!!・・・って、いったいどれだけのことをやったっちゅうねん。完全に目的が変わってる。

とはいえ、昼間っから一杯飲めるのも、休日ならでは。ささやかな楽しみということで、お許しいただこう。


あと4年働けば・・・

誤解のないように断っておくが、あくまでも架空の話・・・

したくてもできないことはたくさんあるわけで、仕事上の責任を放棄してまでそうしたいとは思わないし、仕事から逃れたくてそう言っているのではない。ただ、仕事をする目的のひとつというか、親としての大きな「役割」の一部から解放される?ということを思うと、働くことに対する「立ち位置」や「関わり方」を見直してもいいんじゃないかと思うのだ。

で、いったい何の話やねん!!

あはは・・・、そろそろ本題に移ろう。

実は、我が家の一番下の娘が今年から大学に通うようになり、普通にいってあと4年で社会に出る。つまり、独り立ちできることになるわけで、そうなれば基本的に親が支えなくてもいいということになる。一番上の娘が今年から就職したので手が離れ、二番目の息子が大学2回生なのであと3年、で、この三番目の娘があと4年というわけだ。

自分の力で収入を得、独りで生活していく・・・(住まいを別にするとか、そう言うことではない)とすれば、子どもにかける教育費や、子どもの生活の面倒を見る親の金銭的負担が必要なくなるわけで、残るは自分たち(自分と嫁)の生活と地域の付き合いに必要な収入さえあればやっていけるということになる。

別に、棺桶まで貯金通帳を持って行こうとも思わない(実際、無理な話だ)し、必要以上にお金があっても、使わなければ意味がない。子どもたちに遺産?残すといっても、今までを考えればあって無きがごとし・・・。

なかには、お金があるに超したことはないという人もいるだろうが、今の生活とかけ離れたような暮らしをしたいとは思わないし、自分の身の丈に応じた生活ができれば、僕はそれで十分満足だ。

ということになれば、今の収入(決して多いわけではない!!)が多少減っても、例えば、新人の頃の収入になったとしても、自分独り、あるいは嫁と二人が生活できさえすれば、それ以上を望まなくてもいいということになる。

つまり、一日24時間を仕事に捧げ、365日フルタイムで働かなくても、「必要最低限これだけあれば」、という金額に見合う仕事さえすれば、それでいいわけだ。

いや、そうする方が肉体的にも精神的にも、すこぶる健康的で医者いらず。今のように、生活の基本が仕事ありきだと、毎日、仕事のことばかり考え、生活を犠牲にしてまですべての責任を全うすることが必要になる。でも、生活の一部に仕事がある(実際、今の仕事でどういう関わり方ができるのかわからないが)ような形がとれれば、その範囲で一生懸命に働き、責任を果たせばよい。あとは余暇、つまり自分を幅広く、深く、豊かにすることに時間が使えるわけで、教育現場にいる僕としては、その方が今より何倍もいい教育ができるのではないかとさえ思える。

専任教諭でなくて、かといって非常勤の時間講師ということでもなく・・・あることだけに特化して仕事をするような、ある意味専門職のような扱いで・・・業務委託のような形で、年俸制でいいから(青色申告ができる)・・・。そんな、ユルく、それでいて熱くて前向きな・・・。今の教師という仕事の”発展型”のような生き方ができないかと、密かに夢を描いている。

ただ家で、こんなこと考えてるんやけど~なんて漏らそうモンなら、一言、「アホなこと言わんといて!!」、「死ぬまで働くに決まってるやん!!」

夢の実現には、まだまだ道のりは険しそうだ。