あと4年働けば・・・

誤解のないように断っておくが、あくまでも架空の話・・・

したくてもできないことはたくさんあるわけで、仕事上の責任を放棄してまでそうしたいとは思わないし、仕事から逃れたくてそう言っているのではない。ただ、仕事をする目的のひとつというか、親としての大きな「役割」の一部から解放される?ということを思うと、働くことに対する「立ち位置」や「関わり方」を見直してもいいんじゃないかと思うのだ。

で、いったい何の話やねん!!

あはは・・・、そろそろ本題に移ろう。

実は、我が家の一番下の娘が今年から大学に通うようになり、普通にいってあと4年で社会に出る。つまり、独り立ちできることになるわけで、そうなれば基本的に親が支えなくてもいいということになる。一番上の娘が今年から就職したので手が離れ、二番目の息子が大学2回生なのであと3年、で、この三番目の娘があと4年というわけだ。

自分の力で収入を得、独りで生活していく・・・(住まいを別にするとか、そう言うことではない)とすれば、子どもにかける教育費や、子どもの生活の面倒を見る親の金銭的負担が必要なくなるわけで、残るは自分たち(自分と嫁)の生活と地域の付き合いに必要な収入さえあればやっていけるということになる。

別に、棺桶まで貯金通帳を持って行こうとも思わない(実際、無理な話だ)し、必要以上にお金があっても、使わなければ意味がない。子どもたちに遺産?残すといっても、今までを考えればあって無きがごとし・・・。

なかには、お金があるに超したことはないという人もいるだろうが、今の生活とかけ離れたような暮らしをしたいとは思わないし、自分の身の丈に応じた生活ができれば、僕はそれで十分満足だ。

ということになれば、今の収入(決して多いわけではない!!)が多少減っても、例えば、新人の頃の収入になったとしても、自分独り、あるいは嫁と二人が生活できさえすれば、それ以上を望まなくてもいいということになる。

つまり、一日24時間を仕事に捧げ、365日フルタイムで働かなくても、「必要最低限これだけあれば」、という金額に見合う仕事さえすれば、それでいいわけだ。

いや、そうする方が肉体的にも精神的にも、すこぶる健康的で医者いらず。今のように、生活の基本が仕事ありきだと、毎日、仕事のことばかり考え、生活を犠牲にしてまですべての責任を全うすることが必要になる。でも、生活の一部に仕事がある(実際、今の仕事でどういう関わり方ができるのかわからないが)ような形がとれれば、その範囲で一生懸命に働き、責任を果たせばよい。あとは余暇、つまり自分を幅広く、深く、豊かにすることに時間が使えるわけで、教育現場にいる僕としては、その方が今より何倍もいい教育ができるのではないかとさえ思える。

専任教諭でなくて、かといって非常勤の時間講師ということでもなく・・・あることだけに特化して仕事をするような、ある意味専門職のような扱いで・・・業務委託のような形で、年俸制でいいから(青色申告ができる)・・・。そんな、ユルく、それでいて熱くて前向きな・・・。今の教師という仕事の”発展型”のような生き方ができないかと、密かに夢を描いている。

ただ家で、こんなこと考えてるんやけど~なんて漏らそうモンなら、一言、「アホなこと言わんといて!!」、「死ぬまで働くに決まってるやん!!」

夢の実現には、まだまだ道のりは険しそうだ。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

This blog is kept spam free by WP-SpamFree.