大きな権力に果敢に立ち向かう勇者のごとく・・・

この時期だから仕方がないのかもしれないが・・・という前置きをしても余りあるほど、いろいろなところから声がかかるっていうか、「あれはどうなった」「これはどうする」といった話が舞い込み、1つのことに集中できなかった一日。

だからといって、声をかけてくれた人を恨む気持ちは全くないわけで、いろいろ聞いてきてもらえるというのは、それだけでありがたいことだと思っている。ただ、答えようにも答えられないことや、個人的な判断はできてもそれが学校内で通る話かどうか、先が見えないことについては、やはり不十分な結論しか出せず、せっかく話をしてもらったのに・・・と、僕自身もつらくなる。

まあ、何でもかんでも思い通りに行くというか、それがいくら正論だからといって自分の望む方向に進むわけではないのが社会だし、教育現場といえどもまっとうな理念や目的だけですべて片付くわけではない。

でもその一方で、めざす方向に向かって、たとえいろいろな障害があるにせよ、諦めず果敢にぶつかっていかなければならないことも承知している。体制を理由に「これは無理だ」と言っているのは、無責任な「逃げ」だということも理解している。

決して体制に迎合しているわけでも、流されているわけでもないが、結果としてめざすことができないでいるとしたら、やはりそれは「教育者としては失格」だ。子どもたちに対して失礼であり、最大の被害者である子どもたちにどう責任を取るのか、かけがえのない時間を「成長に活かしきれなかった」代償は、我々教師側がすべて負うべきだろう。

話は変わるが、今朝、ある国会議員の朝立ち(街頭演説)を応援しに行った。私学助成でお世話になったお礼とtwitterでのつながりが、「行かなくちゃ」という思いにさせてくれたからだ。

朝の冷たい空気の中、駅前に立ち、ハンドマイク1つで思いを語り続ける議員の責任感。いくら有権者から票が取れないと立場がなくなるとはいえ、誰にでもできることではない。「何、朝からうるさくしとんねん!」「所詮、票がほしいだけやろ」という冷たい視線を浴びながらも、自分が動くことで市民の暮らしが少しでもよくなればと、身を粉にしてがんばり続ける姿は、大きな権力に果敢に立ち向かう勇者のごとく美しかった。

それを見て、自分もそうあらねばと思った。諦めるくらいなら、仕事を引き受けるべきではないと諭されているように感じた。

新年度、いろいろ困難は予想されるが、かといってそれを理由に「できない」「やらない」は決して言わないでおこう。行動しないのは責任を放棄することだ。それを肝に銘じて、子どもたちに接していこうと思う。


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