改革に必要な「ノルマ」と「結果責任」

土曜日。今日は、広報用に授業風景の写真撮影。中1〜3まで、英語、数学、国語、理科、LHRの各授業に入って、写真を撮ってもらった。子どもたちは満面の笑みを浮かべて、さながら「おりこうさんモデル」状態?!(・・・だったかどうかは知らないが)。きっと、ステキな写真が撮れたことだろう。

ボクはといえば、10時から始まった改革プロジェクトの打ち合わせが、延々13時過ぎまで続いた。改革完成年度までの目標に照らした単年度ごとの行動計画と、たちまち今年度、それをどこまで達成するかという「数値目標」を確認。

あわせて、各部門ごとに数値目標を責任者の名の下に「ノルマ」化し、その「結果責任」を負わせるという、極めて厳しい提案(一般企業では当然のことだが、多くの学校現場ではそういう体制になっていない)が外部指導者から出され、それを次回の会議の検討課題とした。

組織に属するメンバーひとり一人が変わらなければ、組織全体の変容は難しい。内部からの改革が困難だとされる所以は、「自分は変わりたくない」というメンバーの保身(事なかれ主義と無責任体質)にその元凶がある。

本校改革プロジェクトも、もちろん狙いは「内部からの改革」であり、外圧や強力な指導者による「外からの改革」ではない。しかし、内部の者がいつまで経っても変わろうとしない、変わるための行動を起こさないとすれば、そのリーダークラスの人たちに「縛り」をかける必要がある。それが「ノルマ」であり「結果責任」ということになる。

いつかは行動してくれるであろうと悠長に待っていられる状態ではない。目標を定め、それに向かって改革していくと決めた以上、いつまでにどのレベルにまで持っていくかという「数値目標」を立てるのは当然であり、それは「必達目標」なのだ。達成できなければ「責任」が伴う、極めて厳しいものであるということを、改めて確認する必要がある。

そして、その目標達成に向けて、まずは「リーダーが意識して動くこと」。リーダーがその厳しさを認識すれば、当然、メンバーへの接し方、指導のありようが変わってくる。だって、その責任がすべて「自分に返ってくる」わけだから。メンバーが「やりませんでした」では済まなくなり、「やらせ切れなかったアナタが悪い」となる。すべての責任を上位のものが負っていくという、組織では当たり前の原理・原則を学校現場にいる自分たちの中に持つことで、「内部からの改革」を進めたい。

「いつまで能書きばかり垂れとるねん!言うてるもんが、サッサと動け」

「具体策は何やねん。それを早く示せ!」

「そんなこと言ってたって、所詮うちでは、無理・無理・・・!」

改革プロジェクトに関しては、スタート以来、いろんな声が聞こえてきている。もちろん、おっしゃることはごもっとも、すべてを否定するつもりはない。

でも、そんな中で「やる」以上、それぞれの立場の者が全員、自分の「ノルマ」を持ち、その「結果責任」をきちんと果たすところから始めないと、「砂上の楼閣」果ては「絵に描いた餅」になっていくということが言いたいのだ。

かなり厳しい話だった、今日の打ち合わせ・・・。

さっそく動き出す、いくつかのプランも決定した。来週早々にトップに確認して、実行に移したい。

でも、厳しいことに直面した清々しさというか、潔いスッキリ感が持て、ふだん学校の中にいると感じる、何だかはっきりとしない、どうでもいいような、モヤモヤした投げやり感みたいなものが吹っ切れたのも事実。

いつものウィークデーとは違い、夕焼けを見ながら家路に向かう気分はさわやかだった。


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