祈りは谺(こだま)

今日のお昼、空き時間を利用して、父母教の副会長・河村さんと東近江市能登川町の安楽寺を訪ねた。住職の普照房慈弘さんに、保護者会での講演をお願いするためだ。

9月12日(土)の京都新聞「地域プラス面」にも、元プロボクサーという異色の経歴をひもときつつ、その生き方が紹介されていた住職。

詳しくは講演を聴いていただくとして、ここではふれないでおこうと思うが、今日も「お願い」に行っただけにもかかわらず、気がつけば2時間以上も話し込んでしまうほど、痛快で奥の深い、「そう、その通り!」と思わず唸ってしまうような言葉が、容赦なく出てくる。

現代人が忘れかけた、《人のありよう》や《生き方》にふれる、ほんとうに心が洗われ、元気が出てくるお話しの数々・・・

『親指のような人間になれ』

『渋柿の渋こそよけれ渋柿の味』

『人生に消しゴムはいらない』 ・・・

今度の講演でも、いろいろな角度からそんなお話しが聴けると思う。

また、話の途中、言葉での説明が不十分だと思うと、そばに置いてある筆でササッと裏紙に文字を書いて示して下さる。下にあるのは、「《経済》と《臨終》のほんとうの意味を知ってるか?」と訊かれた時のもの。

経済とは「経国在民」、すなわち、世の中を治め、人民の苦しみを救うことを意味し・・・

臨終とは、「弥陀が(我らの)臨終に必ず大衆とともに来迎しよう」と誓った。つまり、臨終の時には、(縁ある人々や先祖や)多くの聖者たちは拍手をもって褒め囲み、(阿弥陀仏である我も)その人の前に現れるだろう。

・・・なんてことを説いて下さる。

どうだろう、一度出会って、お話しをしてみたくはならないだろうか。

ちなみに、「コンビニ和尚」の異名を持つほど、朝早くから夜遅くまで相談が絶えないらしい。たぶん、これを書いている今(22時43分)も、誰かの電話相談を受ておられるに違いない・・・

住職には及ばないが、こちらもこの時間まで仕事が続いた。そろそろ終わって帰るとしよう。


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