学校というところは、どうも世の中の動きに鈍感らしい。というより、ある意味、世の中に出ていくための準備期間というということで、敏感にならなくとも損をしない(守られている)とでも思っているかのようだ。
よく言われる、学校は企業のように厳しくないとか、教師は非常識で世間を知らないとかいうセリフも、そんなところからきているのかもしれない。
なに言ってるんだ、教師だって大変なんだぞ・・・とは、当事者の弁。もちろん、そういう面もあるだろう。公立と私立、小中高などでそのあたりは微妙に違うだろうが、押し並べて多くの学校(特に公立)は、一般企業(これとて漠然とした言い方だが)に比べて「ぬるい」のは事実だ。
親方日の丸ではないけれど、ひとり一人の働きぶりが直接、組織全体の浮沈や責任になりにくい体制だから、そうなっても仕方あるまい。
さて、政治の世界にしろ、経済や外交の世界にしろ、従来の枠組みが通用しなくなった。慣例や過去の成功体験にとらわれず、大胆な発想かつ迅速に物事に対処していくことが求められている今、学校と言えども、これまでのように悠長に構えてはいられない。
特に我々私学においては、学校の方針なり魅力、他校との違い、すなわち「めざす教育は何なのか」「どんなことが提供できるのか」を明確に開示し、自ら果敢に打って出なければ、その存在すら危うくなる。
なのに実態は・・・
必ずしもそういうことを必要だと思っていない、あるいは敢えてそういうことから遠ざかろうとする教師があまりにも多すぎる。
それは経営者、あるいは管理職がやることだ。そこからの指示がないから、一般教員は動けないのだ・・・と、指示待ちを決め込む。じゃあ、指示されたらその通り動くのかと言えば、あれこれ言い訳をして、できるだけ最小限の仕事で済ませようとする。
もちろん、全員がそうだとは言わない。また同じ教師でも、状況によってその都度対応は違うが、全体として醸し出す雰囲気はどう考えてもそうなってしまう。
これでは、ダメだろう!
明日の教員通信に、今週月曜日(11日)の日本経済新聞(朝刊)・教育面に掲載されていたコラム『挑む』を引用した。少しでも世の中の動きに敏感になってほしいというメッセージでもある。
東京都の場合、「公立高校の授業料無料化」で公立(都立)高校の志望者が急増するかと思いきや、ふたを開けてみてビックリ。全日制高校へ進学希望者で、都立を志望する生徒の割合は、昨年に比べて、ほとんど伸びていないというのだ。加えて男子の志望率は、私立や国立、他県の高校などへの志望率が、若干上昇していたらしい。
初年度の公私間の親の負担額の差を計算すると、約63万1千~約75万円とその差は歴然としている。その上、私立の場合、ほかに学校債や寄付金を募る学校すらある。
記事では、「それだけのお金を支払っても、進学したい私立があるということだろう。言い換えれば、有利と分かっても、行かせたくない都立があるということだ。」と締めくくっている。
一方、大阪の状況はどうかと言えば、先日、府内の公立中学校の今春卒業見込みの生徒のうち、私立高校専願者の割合が過去最低の13.34%に落ち込んだという報道があった。(5日:府公立中学校長会のまとめ)
反対に公立高志願率は83.67%で、昨年度同期より0.28ポイント増加。明らかに、公立高校授業料の無償化の影響が大きく、公立志向がより強まった結果だと結んでいる。
同じ施策でも、東京と大阪でまるっきり反対の状況が起こっている現実。その中で滋賀県は、大阪同様に公立無償化の影響で、私学は「困った、困った」と叫んでいる。
いったい我々はそれをどう考えるべきなのだろう。公立無償化は私学にとってマイナスだ、なんて東京で言おうもんなら、「アンタなに言ってるの?」とその見識を疑われかねない。
もちろん、それぞれの学校ごとに見れば、東京にだって影響を受けている私学はあるだろうが、目の前で起こっている狭い範囲の現実だけを見ている限り、こういう疑問は見えてこない。
世の中の動きは、すべてどこかでつながっている。滋賀県の東近江市だからと言って、石川遼選手の活躍やドバイの経済と無縁ではない。
今、どうあるべきか。どの方向に向かって、何をなすべきか・・・。
迷うことはあれど、世の動きをしっかり見極め、確固たる信念を持って、我の思う道を力強く進んでいくことこそ、今一番必要なことだろう。