担任こそ、学校という舞台の主役

明日午後の入学式を前に今日、新入生の事前登校があり、いよいよ中学1年生あるいは高校1年生の学校生活が始まろうとしている。在校生は明日午前中に始業式が行われ、学年がひとつ繰り上がった新しい環境で、新年度のスタートを切る。

新しい担任(変わっていないクラスもあるが)やクラス仲間と、この一年どんな毎日を過ごしていくのか・・・。どの生徒も少なからず期待をし、前向きな気分でいると思う。できれば昨年度までの「よくない」自分を捨てて、「生まれ変わった」自分で何事にもチャレンジしたい。そして、もっともっと勉強したい。実際は口にこそ出さないが、数多くの生徒が、そんな気持ちでいるに違いない。

毎年この時期になると、自分がクラス担任をしていたときのことを思い出す。

大学を卒業後、私はすぐに私立女子高に勤めた。その学校では、新任1年目は生徒指導部か教務部に配属され、いわば教師としての指導のイロハを先輩から学ぶことになっていた。2年からはクラス担任。1年→2年→3年と持ち上がり、教師生活4年目で卒業生を送り出す快感に巡り会う。次いで、その反省をもとに、さらに3年間クラス担任を経験し、2回目の卒業生を送り出して、ようやく教師とは何たるかをカラダが覚える。

その後は、人権や進路指導、入試広報など、さまざまな公務分掌を経験しながら、時にはクラス担任を受け持ち、同じ学年に入ってきた新任の先生にお手本を見せつつ、だんだんと厚みと深みのある教師へと成長していく。最初に勤めた学校での、私の20年間の教師生活は、そんな流れで過ぎていった。

生徒との関わりを考えたとき、教師冥利に尽きるというか、生徒への影響力=教師としての醍醐味を味わえるのは「担任」だ。誰が何と言おうと、生徒への最前線は担任であり、強化担当として授業に入っていても、いつも生徒の片隅には担任の先生の存在があり、それを超えることはできない。指導の主役はあくまでも担任であり、それ以外の教師は全て脇役でしかない。

今年度、本校に赴任してきた6名の先生のうち、何と3名が高校のクラス担任、さらに1名が中学のクラス副担任をすることになっている。こんな成長のチャンスはない。与えられた活躍の場で自分なりの姿を最大限に発揮し、生徒たちにぶつかっていってほしい。

29年前に初めて教壇に立った先輩として、その目映いばかりの若さと情熱に大いに期待している。


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