勉強は自分のためではなく「人のため」にするもの

学年末考査の午後を利用して行われた、教職員向けの校内研修。大手K学習塾高校部の英語講師、川嶋亘先生の『Go beyond your destination. ~with utmost sincerity~』と題する講演だ。

素直で一生懸命、努力家、生徒思い・・・とてもいい先生なんだろうということは、容易に想像がつく。こんな先生に勉強を教えてもらえる子どもは、すごくシアワセだろうなと思う。しかし、よく勉強する人だ。いや、勉強だけではない。空手やボクシングもやるんだそうな。その飽くなき「追求心」はどこからくるのか・・・。そんなに何にでも打ち込んで、しんどくないの?

大丈夫らしい。努力や勉強は自分のためにするのではなく「人のため」。だから、全然つらくないし、苦しいとも思わないのだという。この若さで、それを言い切れるのだからすごい。

話を聞きながら、同じようなことを言う人がどこかにもいたなぁと考えていた。そう、横浜で私塾「聡明舎」を経営する喜多川泰氏だ。『手紙屋』『君と会えたから…』などスマッシュヒットを連発する人気作家としても、その名を知られている。

喜多川氏は、人間力を育むことを第一に自らも教壇に立っている。そして、こう言う・・・「勉強はね、君がこれから先の長い人生の中で出会う人たちのためにやっているんだ」 。

医者になったら、命を救われる人がいる。弁護士になったら、平和な生活を獲得する人が生まれる。 勉強して入った大学や会社で、素敵なパートナーと出会う・・・。

「今日の君の努力は、将来君と出会う人をすごく幸せにしていることになるんだ。 そして、自分が勉強を頑張れば頑張るほど自分が幸せにできる人の数はものすごく大きくなるんだ。勉強は将来の自分のためにやるんじゃない。将来自分と出会う人の幸せのためにやるんだ」。

なるほど・・・、美しい。こんなふうに思えたら、勉強だって楽しくなるに違いない。

それはそれでいい。その通りだと思う。ただ、今日の川嶋先生の話を聞きつつ、一方で何とも言えない違和感というか、消化不良を感じ、せっかくのいい話が「ココロに伝わってこなかった」。僕が素直でないのか、一番前の席で聴いていたからなのか、とにかく「ごもっともなんだけど、それがどうしたの?」と思う気持ちが先行し、ストンと落ちないのだ。

同じようなことを、本校のK先生もブログで書いていた。「何のためにやった研修なのか」「せっかく来てくれた講師を生かしきれていない」・・・。別に、依頼した学校側がその内容にまで踏み込んで、今日の講演をセットしたわけではないだろうし(そこまでやっていたならたいしたもの、でも本来はそうするのが当たり前)、それだけが原因だとは思えない。しかし、聞き手である教職員に「いいものが伝わらない」のであれば、本来の目的を果たしているとは言えないだろう。

「何を文句言ってるんだ!」「それは聴く側の問題!」「プラスになるように聴けない、アナタが悪い」・・・。そんなお叱りが聞こえてきそうだが、これこそ我々教師が子どもたちへの指導の際に、つい口にしてしまいがちな「責任逃れの言い訳」ではないのか。勉強できないのは、「やらない生徒」が悪いのではなく、「させない教師」が悪いのだ。

おっと、話が横道に逸れてきた。元に戻そう。

僕が違和感を感じたのは、たぶん川嶋先生の話が「借り物のように聞こえた」から。彼の、他の人にはなかなか真似のできない勉強ぶり(本を読んだり、講演を聞きに行ったり、セミナーを受けたり・・・)は、確かにすごいし、尊敬する。あれだけ幅広い勉強をやり遂げ、それを実践しているのだから、並大抵の人ではない。でも、どこか「自分のモノ」ではないように聞こえてしまうのだ。ウソを言っているわけではないし、すべて彼の実践に基づいた本当の話なのに、なぜ・・・。

いろいろ考えた。そして気づいた。「過程が見えない」のだ。今日の話は、突き詰めると「彼がやった勉強、学んだ知識や技術の一端であり、それを実践したことで得られた成果の羅列」であり、そこにウソはない。確かに、すごいことだ。でもそのすごさは、聞き手である我々にとってはすごいことでも、彼にとっては当たり前のこと。だから淡々とその努力を続け、当然のことのように実践できる。

我々が知りたいのは、その「過程」。彼と同じようなことが「どうしたらできるのか」、彼のようになれないにしても、「そのプロセスが見えない」と「自分流にアレンジしようにもできない」。講演とか研修の学びとは、ただ語り手の「すごさ」「すばらしい実践」を聴いて感動することではない。なぜ、そんなすごいことができるのか、そのためには何が必要なのかを「自分に問うて」、どうしたら自分ものものにできるかを「考えられる」ことなのだ。

残念ながら、僕にとって今日の講演は前者どまりだった。残念だ。でも、それは、決して川嶋先生が悪いわけではない。

「消化不良だったので、どこかでまたゆっくりお話しを聞かせてほしい・・・」。そう、終了後のアンケートに書いておいた。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

This blog is kept spam free by WP-SpamFree.