「なんでもあり」は「なんにもなし」と同じ

明日の中学C日程入試に向けて、放課後、会場準備を行った。今年度3回目、最後の入試ということで、受験生には頑張ってほしいところだ。

現実問題として、決して満足のいく数の受験生が集まっているとはいえない中学。滋賀県という土地柄か、このご時世、お金のかかる私立にはちょっと・・・ということなのか、はたまた中高一貫6年といわれると、そこまでは見通しが立たないのか、とにかく「追い風」が吹いているとは言えない。

確かに「面倒見がよく」「手厚い指導」をしている学校であることは間違いない。生徒が「楽しく通い」、「のびのびと生活している」ことも事実だ。公立であれば放っておかれるようなことでも、きちんと対応している良さもある。

でも、それだけで満足のいく評価が得られているかというと、必ずしもそうではない。よく言えば「なんでもあり」が、言い方を変えれば「なんにもなし」と同じことだと、周囲が感じ取っているのがその原因の一つではないかと思う。

満足のいく形で「なんでもあり」を実践するためには、すごく大きなバックボーンというか、体制が必要となる。大企業(大きな私学法人)でなければ、本来できないことだといってもいいだろう。トヨタだからカローラが作れ、それを売ることができたわけで、光岡自動車がカローラのような車を作ったって、それが何の売りにもならないのと同じことだ。

要は「明確なポリシー」に裏付けられた、「はっきりとしたイメージ」が周囲に発信できてこそ、私学の存在価値がある。公立学校がトヨタだとすれば、大きくてホンダ」、小さければ光岡自動車といった学校が私学のイメージだろう。

全員を100%満足させることはできない。いや、やろうと思ったら、何を言われても即対応できるだけのハードソフト両面が整備されていなければならない。理想的にはあり得る話だろうが、現実には難しいことだ。

それならば「私はこれで生きていく」みたいな、間口は狭いけれど、売っている商品には絶対的な自信があるような、スーパーじゃなく専門店としてやっていった方が、よっぽど存在価値がある。

本来、私立学校というのはそういうものではなかったのかと、現実のあまりに公立志向的な見方や運営に、今更ながら疑問を感じる。

本校の先を思うと、ここらでメリハリをつけ、「できること」「めざす方向性」をよりシャープに明示した上で、それに期待して集まってくれる人たちに最大限の満足をしてもらえるような「本校ならではの『売り』」をつくることだろう。

今のままでは、せっかくの『売り』が、その他の雑事に埋没して、かすんでしまっている。


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