「勉強のしかた」には、その人の性格が見える・・・

勉強のしかたは人格の集中的表現だ・・・ということを、以前、何かの本で読んだことがある。最近の子どもたちの、勉強に対する取り組みのようすを見ていると、なぜかそのことが強く意識されてならない。

勉強なんて、その人の性格(個性、人柄など)とは無関係だと思いがちだが、現実には、そうとも言えない面がかなりあるようだ。

もちろん、「勉強ができる人=いい人」ということじゃないし、勉強ができる・できないで、その人を判断しようということではない。でも、もっともっと深いところで、人格の一面が勉強に対する姿勢に深くかかわっているような気がしてならない。

たとえば、勉強と勉強以外の生活面とが、全く無関係だと言い切れるだろうか。服装、言葉づかい、金銭の使い方、時間厳守の程度、礼儀・・・といったことと、勉強に対する姿勢とは、全くつながりがないだろうか。

僕自身の経験から考えると、それらはどこかで必ずつながっているように思える。

人格には、勉強によってつくられる部分と、勉強以外のさまざまな営みによってつくられる部分があるといわれている。そして、それらが互いに浸透し、かつ複雑に影響しあって、ひとりの人間を形成していくともいわれている。つまり、勉強にしろ、それ以外の営みにしろ、それらすべての経験が土台となって我々の人格はできているということになる。

だから、もし、いま、思うように勉強ができないと感じている人がいたら、一度、他の面から自分の行動を見直してみてほしい。不真面目になっていることはないか、適当にすませてしまっていることはないか、人に頼ってはいないか、楽をしようとはしていないか・・・。必ずや、どこかに「勉強する姿勢」を阻害する原因のようなものが隠れているはずだ。

逆に、勉強をいい加減にやるということは何を意味するのか。それは、自分の人格のうちで勉強によって育まれる部分を切り捨てていくことになる。いくら、自分が勉強以外の部分で優れたものを持っていても、それが十分に活かせないばかりか、それをつぶしてしまうことにつながる場合だってあるのだ。

睡魔に負けそうになったら、もういいやと投げ出したくなったら、「あと10分だけ、あと1ページだけ、頑張ってやろう・・・」、そう自分に言い聞かせよう。

努力した分は、必ず自分に返ってくる。

しっかり頑張ろう!


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