今月16日、私学助成街頭署名で大津パルコに行ったとき、
久しぶりに紀伊国屋でゆっくり本を眺める時間があった。
教育書のコーナーで、平積みされていた本の中に見つけた、この本。
『街場の教育論』 (内田樹:著)
"ミシマ社"という聞き慣れない出版社が出していて、手書きの読者ハガキが
はさんであったこともあって、思わず惹かれ・・・買って帰ってきた。
正解!
本の内容も、著者も、出版社も・・・すべてがステキで、いい感じ~。
こんな軽いノリで紹介するのもどうかと思うが、ある意味"目からウロコ"。
「学び」の本質にいろいろな角度から切り込んだ11講義が詰まっていた。
神戸女学院大学文学部の教授である著者(ブログはこちら)が、2007年度の
大学院・教育論演習の講義録を原型をとどめぬほどに加筆したものとのこと。
「教育は熱く論じてはならない」というのが内田さんの教育論で、
できることなら政治家も官僚もメディアも、教育のことは忘れてくれませんか
・・・というお願いの一冊だと、本人は言っている。
冒頭からちょっと読み進んだだけでも、なるほどと唸る言葉に出会う・・・
第1講 教育論の落とし穴
☆教育制度を改革するというのは、『故障しちえる自動車に乗ったまま、
故障を修理する』というアクロバシーを意味します。
☆『教育を改革する』ということは、学校への信頼と、教師たちの知的・情緒的資質
への信頼を維持しつつ、それと並行して『学校制度の信頼するに足らざる点、
教師たちの知的・情緒的な問題点』を吟味するということです。
☆政治家も評論家も、学校教育はダメになったと口を揃えて言い立てました。
おかげで教育改革が喫緊の課題であることについての国民的合意は形成されました。
けれども、驚くべきことに、その教育改革をいったい『誰が』担うのか、
ということについては、考える人はほとんどいませんでした。
『誰かがやるだろう』とみんな思っていたのです。問題が深刻であればあるほど、
解決のための仕事を『誰が』担うのかという問いがニグレクトされる。
☆教育改革の成否は、教育改革を担うべき現場の教員たちをどうやってオーバー
アチーブへと導くか。彼らのポテンシャルをどうやって最大化するかにかかっています。
それに必要なのは、現場の教師たちのために『つねに創意に開かれた、働きやすい
環境』を整備することに尽くされる、というのが私の意見です。
☆けれども、私たちにはこの『手持ちの人的資源』でやりくりするしかありません。
とりあえず現に教育の崩壊をアウトラインで防いでいる『能力があり、意欲があり、
モラルの高い教員たち』のアクティビティを支援し、そのオーバーアチーブによって、
制度上のもろもろの瑕疵のもたらす否定的影響をカバーするということです。
教員たちが発明の才を発揮し、新しい教育方法を考案し、実験し、議論し、対話し、
連帯することができる、そういった生成的な労働環境を作り出すこと。
それが私たちに許された唯一可能な『教育改革』の方向だと私は思っています。
教育者ならずとも、ぜひ読んでほしいオススメの一冊だ。
もちろん、こんなステキな本を出してくれたミシマ社にも、拍手!