「おめでとう」の意味

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滋賀県教育委員会が発行するメールマガジン「教育改革ニュースレター」 の
今年第一号(1月9日付:第46号)に、仕事始めにあたって末松滋賀県教育長
が教育委員会事務局職員に対して行った訓話が紹介されていた。

 「おめでとう」には、今年こそ「善い年」になってほしいという「希望」と今年こ
 そ「善い年」にしようという「決意」が託されています。昨年はままならぬ事も
 あった、望んだとおりいかないこともあった。しかし、今年こそ「善い年」であっ
 てほしい、「善い年」にしようと希望し決意する新年を、ともに迎えることがで
 きたこと。 それが本当の意味で「めでたい」のです。

 「喜び」「希望」「決意」それらはいずれも明るい未来へ向かう心から発するも
 のです。だから「おめでとう」という新年のあいさつは、爽やかで、心が弾み、
 力が湧いてくるのだと思います。

 では、私たちが等しく期待している「善い年」とは、どのような1年でありましょ
 うか。何事であれ、すべての希望が実現する年なのでしょうか。勿論、何もか
 もが期待した通りになるとしたら、それは「善い年」に決まっています。しかし
 現実には、いくら希望し、期待しても、なかなか思い通りにならないのが世の
 常であります。思い通りにならないだけではありません。まったく予想もしな
 かった災難に見舞われることもあります。

 「善い年」とは、何事も期待通りになる年のことではありません。希望したこと
 すべてが叶う年のことではありません。苦難や災難がない年でもありません。 

 如何なる困難にも負けることなく、現実に正しく対処し、努力を尽くすことで
 充実した年、それが「善い年」だと思うのです。 

なかなか意味の深い、示唆に満ちた言葉だ。

『如何なる困難にも負けず、現実に正しく対処し、努力を尽くす』

それは、簡単なようで、なかなか難しい。

困難に負けないでおこうとするあまり、「現実に正しく対処」することから逃げ、
その場限りの安易な解決に走ってしまう心の弱さが、人間にはある。

政治経済のあらゆる営み、あるいは最近多発しているひき逃げだってそうだ。
今の日本が抱えている数々の問題の根っこにあるのは、こうした無責任な
「責任転嫁」や「現実逃避」だ。

常に正義を貫き、現実に正しく向き合い、誠実に対処し、できる限りの努力を
尽くすことは、自分一人の力でできそうで、実はそうではない。

先述のメールマガジンの筆者・教育企画室S氏はこう締めくくっている。

 しかし、よくよく考えてみれば、今まで生きてきて、そんな都合のよい1年
 なんて過去には一度もなかったような気がします。何らかの苦難があった
 のだけれど、少しの自分の努力と、周りの方々の大きな支えと、そして
 ちょびっとの幸運があって乗り越えてきたような気がします。 

もちろん自分も努力はする。でも、それ以上に「周囲の人たちの支え」があって、
その努力が実を結ぶのだということを忘れてはならない。

われ先に・・・と自分のことばかりを考える前に、周りの「ヒト」「モノ」「ココロ」、
そして「オカネ」によって、自分が守られ、生かされていることに感謝したい。

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