「いきいきとした教室」というのは、ひとりひとりが、それぞれに、確実な
成長感というのでしょうか、一歩一歩高まっている、自分が育っている、
という実感といったらよいでしょうか、それが持てる教室のことなのです。
もちろん、子どもはそんな表現でとらえてはいませんが、自分が伸びて
いると感じることは、ほんとうに、人をいきいきとさせます。心の底から
溢れ出てくるものがあります。
できたの、できないのと、喜んだり悲しんだりしている世界ではなくて、
みんなが、それぞれの成長を願い、一所懸命生きている教室が、ほん
とうに、いきいきしている教室だと思います。また、そこで仕事をしている
教師その人が、その教室で成長していない教室は、いきいきとしそうも
ありません。昨日よりも今日という風に、何か気づいたり工夫したりして、
教師自身に成長の実感がなくては、いきいきと指導にあたる力、子ども
を動かす迫力が、出てこないと思います。
(中略)
端的に言えば、あり合わせ、持ち合わせの力で、授業をしないように、
ということです。何事かを加えて教室へ向かい、何事かを加えられて
教室を出たいと思っています。「いきいきと」させるものは、そういうところ
から生まれてくると思います。
◇ ◇ ◇ ◇
今日の職員会議で、先生方にぜひ読んでほしい・・・と紹介があった。
大村はまさん。1906年生まれ。1980年で退職するまで52年間、中学校
などで国語教師を続けた。退職後も98歳で亡くなるまでずっと、講演や
実践活動を続けてきた人だ。
教育界では名を知らぬ人いない(というと言い過ぎかもしれないが)、
それほど深く浸透している"教育者"といってもいいだろう。
なぜ、そこまで慕われるのか・・・
冒頭の文章からもわかるように、決して「やさしく」「あたたかい」だけの
教育者ではない。むしろ逆に、「厳しく」「人の言えないことを平気で言う」
「大胆な」女性である。
文章からは、国語の女の先生からくる、穏やかなイメージとは正反対の
辛辣な教育論、人間観が滲み出ている。
こんなふうに活きた言葉で語られると、現場の教員は思わず「そうだ!」
と共感する。もちろん僕もその一人だ。
◇ ◇ ◇ ◇
教師ならよくおわかりでしょうが、勉強ができない、わかっていない子の
面倒を見るのは、比較的たやすいことです。それに、それは教師として
当然しなくてはならないことですし、そういう訓練も積んできていることと
思います。それを行えば、いい先生だと誰もが評価してくれるでしょう。
ところが、そういう子どもの面倒を見るとか、落ちこぼれた子を出さない
ということばかりに目が行って、できる子供を伸ばすことがおろそかに
なりがちのようです。
(中略)
力のある子供を伸ばす、精いっぱい学ぶ姿にもっていくには、教師のほう
にそれだけの実力がいります。その子のすぐれた力をはるかに上回る幅
や高さがなければ、夢中にさせられないのです。「優も劣も」といったときに、
どうも教室では「劣」のほうに重みがかかってしまい、その子たちの面倒を
見ることで教師が満足して、「優」の子を退屈させてしまうことが多いよう
です。それが教室の魅力を失わせているのです。
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持っている力というものは、使い切ったときに伸びるもののようです。
大してない力でも、ありったけ使うと、またどこからかわいてくるのです。
誰かが哀れに思って、与えてくれるのではないかと思うほどです。
ですから、少ししか使わないと、力は伸びない、生まれてこないようです。
かわいそうになるほど、持っている力をみな使ってしまうことが、次の力を
得るもとになるのだと思います。
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教師は一個の職業人です。「聖職」という方もいますが、私はその名に隠
れて精神主義に偏っていく態度には賛成できません。心さえあればいい、
熱意さえあればいいというわけではないと思うからです。熱心、結構です。
いい人あたり前です。悪い人であったら、たまったものではありません。
なのに、教師の世界というのは、いろいろな職業と比べても、「いい人」と
いうことがかなり幅をきかせているように思います。他の社会では、仕事
の能力と切り離して「いい人」をここまで尊重しないのではないでしょうか。
いい人であっても、やはり業績を上げて、仕事をちゃんとやれる人でない
と、価値を認められないのではないでしょうか。
教師という職業の拠って立つものは何か。子どもに一人で生きていける
力をつけること、そのための技術を持っていることでしょう。それを忘れた
「いい人」ではちょっと困るのです。
◇ ◇ ◇ ◇
教育者として、まさに必要不可欠なことばかりが綴られている・・・
僕は教師だが、これら大村はまさんの言葉は、「教室」を「会社・職場」、
「授業」を「仕事」と置き換えれば、多くの社会人にあてはまるだろう。
人の生き方、周囲への接し方という見方だってできるかもしれない。
前向きや横並び、他人と同じだということを嫌い、いい意味で反抗精神を
持ち、自分の考えに忠実な言葉で人に接する。
それでいて、憎まれず、軽やかに生きていく。
そんな生き方をしたいと思っている僕としては、大いに励まされる女性だ。