2006年4月アーカイブ

「心訓」に学ぶ

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明治前半の啓蒙思想家で、慶慮義塾の創設者でもある福沢諭吉が亡くなったのは、
明治34年(1901年)2月3日、67歳だった。

誰もが名前を知っている福沢諭吉・・・。その業績の数々は、今まで学校の授業や
教科書の中で、誰もが何度も耳にしているに違いない。

今日は、そんな諭吉の残した言葉の中から一つ、『心訓』を紹介しよう。

独立自尊、自主自由の精神を説いた諭吉が残した、庶民への処世訓とも言うべき
7つの言葉『心訓』。今の私たちにも、自分の人生を考えるうえで、
いや、そんなに大袈裟に言わなくても、自分の毎日の生活の糧として、
何度も繰り返し読み、しっかりと頭に入れておきたい言葉だといえるだろう。

 一、世の中で一番楽しく立派なことは、一生涯を貫く仕事を持つこと。
 二、一番みじめなことは、人間として教養のないこと。
 三、一番さびしいことは、する仕事のないこと。
 四、一番醜いことは、他人の生活をうらやむこと。
 五、一番尊いことは、人のために奉仕し、決して恩を着せないこと。
 六、一番美しいことは、すべてのものに愛情を持つこと。
 七、一番悲しいことは、うそをつくこと。

人間として、どう生きるか、どう生きるべきか。
それを、これほどまでにスッキリと、しかもわかりやすい言葉で表現されると、
正直言って「あー、そうね」と軽く受け流してしまいがちだ。

でもその反面、短かな言葉であるが故に、その端々が心に深く染み渡り、
何となく”私だって”という気持ちにもなると思う。

この世の中、単に表面的な魅力のみを追い求めがちな私たち。
でも、大切なのは中身・・・「心」「生き方」・・・だってことを忘れたくない。

学校って・・・

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学校というところは、ある意味、純粋なままでいられる世界だと思う。

努力すれば必ず報われるんだ、一生懸命やることこそが何よりも大切なんだ・・・
感動して泣いたって恥ずかしくないし、それがいいことなんだよって堂々と主張できる・・・

本当に純粋さが主張でき、それこそがステキなことなんだと言える世界。

本音で生きていくことが、何よりもいいとされる環境がそこにはある。

でも、社会に出ると、時には嘘をつくことも必要かもしれないし、
純粋さだけではやっていけない部分も、本当にたくさん見えてくる。
裏切りやゴマすり、言葉の使い分け、本音と建て前など、
学校時代のように、素直にやっていてはダメな形に追い込まれてしまう。

それが実際なんだし、それにある程度あわせていかないと、
「あんたって、いつまでも子どもなんやねぇ~」といった誤解を生む結果になる。

でも、僕としては、そういう社会一般の通念を跳ね返してでも、
人間として大切なこと、忘れてはならない生き方の指針・・・みたいなものを、
子どもたちに、一生懸命、とことんたたき込んでいきたい。

仏典に『雑宝蔵経(巻七)』というのがある。
その中に出てくる言葉で、僕がすごく気に入っている・・・というより、
自分自身への問いかけとして、いつもそうでありたいと念じているものがある。

その言葉とは「無財の七施」。
どういうことかというと、“無財”すなわち、人間、お金なんかなくてもいい、
何がなくても、人として生まれてきた以上、自分以外の第三者に対して、
少なくとも“七つの施し”をすべし、という教えである。

では、その“七つの施し”とは何か。

第一は「眼施(がんせ)」である。
目は口ほどにものを言う、眼は心の窓・心の鏡だ、などと言われるように、
眼を見れば、その人の精神状態、心理状態、健康状態までがわかってしまう。
だから、いつも澄んだ眼、明るい眼、清らかな眼、できればキラキラ光り輝く眼
をしていなければならない。

二番目に「顔施(げんせ)」。
顔の施しである。顔の施しとは何か。
つまり、老若男女を問わず“微笑む”ことが大切だというのである。
中国の古辞書には“微”は“美”なりと記されているらしい。
また、“美”は“味”なりともある。これら“微”“美”“味”は、字は違うけれども、
元来は同じ意味で用いられていたとのこと。
美しいものには味がなくてはならず、その味も微妙でなければならない。
すなわち、自分の顔が、いつも微妙な、味のある美しさを持っていることが
大切であるということだろう。

三番目に「身施(しんせ)」。
身だしなみということである。
身だしなみというのは、何も華美な服装をすることではない。
清潔感あふれる、こざっぱりしたという一語に尽きるだろう。

四番目が「言施(ごんせ)」。
言葉遣いに神経を使うということである。
日本語というのは、とても語彙(言葉数=ボキャブラリー)が豊富である。
それぞれ微妙にニュアンスが違う言葉が飛び交っている。
そんな中で、いったいどうすればいいのだろうか。
言うまでもなく、それらを“駆使”する語法を身につけることである。
一言多くてもダメだし、少なくても不十分。
この言葉の施しは、意外に簡単なようで難しい。しかし、その反面、
知らず知らずのうちに大きな効果を生んでいることが多いのも事実だ。

次に、五番目が「心施(しんせ)」。
真心である。どんなに美しい眼、顔つき、身なり、言葉遣いをしていても、
真心がこもっていなければ何もならない。
真心がこもっていなければ、むしろ、空々しい印象を与えるだけである。

そして、六番目に「床座施(しょうざせ)」。
いつも休んでいるところ、いつも座っているところを整理整頓し、かつ清潔にして、
いつ誰がそこへ現れようとも、いつでも気持ちよく迎え入れる
ことができるようにしていかなければならないということである。

最後に、七番目「房舎施(ぼうしゃせ)」。
“房”は部屋、“舎”は家である。これも、いつ、いかなるときに人の訪問を受けても、
恥ずかしくないようにしておく施しのことを言っているのである。

我々人間は、人との交わりを除いて生きていくことはできない。
言い換えれば、人さまの“おかげ”で“生きさせてもらって”いるとも言えるだろう。
そんな中で、もし、この七つの施しが実現できるような自分であったなら、
どんなにステキだろう。

【おまけ】
“お布施”という言葉。これは、この「無財の七施」をしっかり行うと、
仏さまからもらえるごほうびのことなんだって・・・。

机の中を整理していたら、一枚の紙切れが出てきた。
十数年前、レクリエーション指導者資格を取得するために参加したスクーリングで、
授業の課題として出された「あなたへのメッセージ」だった。

課題の内容は正確には覚えていないけど、2人ずつペアになって、
まず相手のイメージを一言で表現し、
次に、それをさらに具体的に表す、3つのステキな点を探して書き出し、
最後に、そんな雰囲気をもったあなたにどうしてほしいかを書いていくというものだった。

僕の相手は10歳ばかり年上の、長野県に住む消防士(レスキュー隊員)さんで、
僕に対してこんなことを書いてくれた。

 顔がかわゆく、素直な表情・表現。自然がそのままのあなたへのメッセージ。
  1.豊かな環境で育てられた
  2.生活に逆らわない素直な生き方
  3.遊び心を使える人
 以上3つの”ステキ”です。
 アドバイスは・・・
  ごく自然に回りにも職場にも「新鮮」な影響を与えていってほしい。

どうかな? 僕を知っている人なら、なんとなく結びつくかなぁ~って、
勝手に思ってるんだけど・・・。エヘヘ

生き方のキーワードっていうほどたいしたことじゃないけど、
いつも「素直」「自然」「遊び心」を失わないような自分でありたいと思ってる。

背伸びをせず、ありのままの自分でいたい・・・。
思いやりを忘れず、何事にも一生懸命でありたい・・・。

それでいいかなぁ~。

keeps learning

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“Anyone who stops learning is old, whether at twenty or eighty.
 Anyone who keeps learning stays young.
 The greatest thing in life is to keep your mind young.”
  - Henry Ford -

 20歳であろうが、80歳であろうが、学ぶことを止めた人は老人だ。
 学び続けている人は若いままでいられる。
 人生で最も大切なことは、心の若さを保つことだ。
   ヘンリー・フォード(1863-1947 アメリカ 実業家)

そうだ! その通りやで!!

以前聞いた話の中に出てきたことだが、
最近、改めて自問自答することが多くなった言葉がある。

何かと苦労の多い学校現場。
子どもたちの姿、親の姿、学校への期待、教師の疲れ・・・

そんな中で、教師は「五者」でなければならないという。

「五者」とは、学者・医者・易者・達者・役者の5つで、
常に我々教師は、それらの役割を忘れてはならないと。

短い言葉だけど、その意味は深い。

今の自分は果たしてそれができているのか・・・

今日を振り返りつつ、明日に備えよう。

ちょっと古い話になるが、雑誌「ランナーズ」の2001年3月号(p.80)に、
『修学旅行で参加したホノルルマラソン』と題する、
群馬大学付属養護学校長、山西哲郎先生の書かれたレポートが載っている。

同校は、毎年、生徒の希望をふまえて修学旅行の行き先を決めている。
いったん学校を離れてしまうと、外国に行くことなんて夢のまた夢だという
同校の子どもたちにとって、
校長先生の「修学旅行でハワイに行ってみようか」という提案は、
まさに夢の実現への第一歩だった。

しかし、今までにそんな例がなく、最初、関係者や文部省は消極的だった。
そこに、障害を持っている同校の子どもたちが、学校では走ることが日課となって
いることから、ただハワイに行くだけではなく、「ホノルルマラソンを走ってみよう」
という話になった。

果たして、この計画が実現するのか・・・。

そして、その夢が現実のものとなった・・・。
スタートラインで合図を待つ、同校高等部の7人の生徒たち。
先生やボランティアの学生、看護婦や医師などに支えられて、
今、レースが始まった。

フルマラソンに挑戦したのは、生徒会長の小林君。
他の6人は10キロウォークだ。
給水所で「サンキュー」とおいしそうに水を飲み、地平線に登る真っ赤な太陽を見て、
「まるで神様に会ったよう・・・」とつぶやいた小林君。
「何度もやめたいと思ったけれど、山田さん(群馬大陸上部員)と校長先生(共に伴走)
に励まされ、夢のゴールをしました」 
時には立ち止まりながらも、走り、歩き続け、6時間30分54秒でゴール。
ウオーキングに出場の生徒たちも、いつもより速いタイムで、全員完歩。

レースでの子どもたちのようす、交わされる喜びに満ちた声に、
「自分たちからバリアー(壁)をつくり、閉じた世界にしていました」と気づいた先生たち。
走ることの広さと多様さに感動し、明日への新たな夢の第一歩を歩み出す・・・。

素晴らしい話だと思った。なぜ走るのか、何のために走るのか・・・。
答えは、一人一人の心の中にある、ささやかだけど大切な<夢>への挑戦に違いない。

外資系企業の面接でよく聞かれる質問の一つに

 What can you do for us that other candidates can't?
 他のヤツ(志願者)にはできず、あんただからこそできることが何かあるかい?

なるほど、そりゃそうだ。

みんなと一緒、何の特徴もなく、際立った違いが見当たらず、
これといった技能も持ち合わせていない者を誰が採用するか・・・

で、次の質問。

 What will you bring to our company if we hire you?
 あんたを雇ったら、会社に何をもたらしてくれるっていうんだい?

ちょっと表現が違うと、

 How can you contribute to us?
 あんたは、うちの会社にどんな貢献ができるのかね?

リクルート対策バッチリで、いくら面接慣れしているといっても、
こんな質問を矢継ぎ早に浴びせられると、多くの日本人は、とっさにうまく答えられない。

社会の一員として協調性があり、会社に対して謙虚で従順であること・・・
今まで日本企業の多くが求めてきたのは、そんな人物だった。

でも、もうそんな時代じゃない!(ちょっと古いか?)

自分の長所をしっかり掴み、人とは違う「何か」=得意分野、特技 を持ち、
なおかつ、それを簡潔にわかりやすく説明できなければダメなのだ。

自慢じゃなく、"オレ流"の自己表現ができてこそ輝く

そういう時代になったってことを、身にしみて知らなきゃアカンでぇ~。

このブログは Movable Type3.2 で作っている。
最近、エントリー投稿時にカテゴリーの構築で「500エラー」が多発。

友人に提供したブログでも同様の症状が出て、
Blog Write でエントリーを投稿しようにも、全くできないとのこと。
早く何とかしなくちゃって状態だった。

最初の頃は、mt-config.cgi をいじって
# EntriesPerRebuild 40 の部分を、40 → 5 にしたところ
一応解決したかに見えていた。

ところが半月ほどで、またまたダウン。
以前にも増して「500エラー」の嵐が吹き荒れた。

ロリポップ! で Movable Type3.2+Berkeley DB の宿命か・・・と、
いろいろ調べ、いくつかの解決策が見つかった。
しかし、どうも「これだ!」というものに巡り会えず、
友人にも悪いなぁ~と思いつつ、毎夜、頭を悩ませていた。

そこに、とうとう救世主登場!!

商用BLOG専門店さんのサイト。
Movable Type3.2の500エラー対策!DBをsqliteにする方法 だ。

何となく難しそうに思えるが、意外や意外、やってみるとすごく簡単。
紹介されている手順通りにやれば、
あっという間にBerkeley DB を SQLite に移行することができた。

再構築も問題なし。少し早くなったのも嬉しい。

ふぅ~、肩の荷が下りた。

非経済的報酬

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確か、リクルート社の人からだったと思うが、
「仕事」に対してこんな話を聞いたことがある。

仕事に対して面白さ、やり甲斐を見つけだす条件は、
 1.仕事を分解し
 2.究極の自己実現をめざし
 3.もう一つの報酬を得ること。

経済的報酬はもちろん必要だが、それだけで満足感は得られない。
必要なのは、お金に変えられない喜びや充実感であって、
これがなければダメだ。

大切なのは「偉くなること」ではなくて「幸せになること」。
だから、どんな仕事に就くのかではなくて、どんな仕事の仕方をするかだ。

「会社」があって、要望に応えるための仕事をするのではなく、
「自分」があって、自分を表現するための仕事をすること・・・。

仕事は、自分を表現するための手段なのだ!

自分らしく生きたい。だから自分の喜びに、忠実に働く。
それこそが、今、求められている人材になれる近道かもしれない・・・。

今、求められている人材とは、
 ☆5つの新しい能力
  前進力、広動力、吸人力、独習力、転想力(一部造語)
 ☆プラスワン
  試行力

今、必要なのは、「ブロックタイプ」の人材ではなく、「石垣タイプ」の人材だ。

全くタイプの違う、いくつかの仕事を経験してきて、
今さらながら、この話の重みを感じる今日この頃だ。

他生の縁

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新年度が始まって20日あまりが過ぎた。
そろそろ自分の落ち着く場所ができはじめる頃かもしれない・・・。

我々は日常生活の中で、自分が意識する・しないにかかわらず、
実に多数の人々と出会っている。
例えば、朝の通勤ラッシュの中で、たまたま肩と肩が触れ合った人、
隣の席に乗り合わせた人・・・などなど、
どこの誰とも知らず、自分とは全く関係のない、
もう二度と顔を合わせることもないはずの人・・・。
出会う人の大部分は、そうした人たちだ。

仏教の世界では「袖振り合うも他生の縁」といって、
道を歩いてたまたま袖が触れ合っただけであっても、
その出会いは決して偶然ではなく、
他生(生まれる前の世の中、前世)から、
その時、その場で、
そのようになる因縁(定められた決まり、宿命)であるとしている。

また、茶道では「一期一会」といって、
常々深い交わりをしている間柄であっても、
今日この席で主となり客となる出会いは、
一生に一度しかない出会いであるとして、
非常に大切なものと心得ている。

そう思うと、今の学校や職場に通うようになり、
級友や同僚と同じ時間を過ごし、
先生や上司として○○さんから教えを受けていることは、
まさに他生の縁に他ならない。

人との出会いを大切にしたい・・・。

今まで数々の出会があって、
その上に、今、新しい出会いが始まった、この時期・・・。
改めて、そんなことを強く思う。

アメリカ・ニューヨーク州で一年間、交換留学生として過ごした女子高生が、
滞在中に出会った人たちの中で一番感謝したい人として、
ホストファミリーをあげている。

なかでも、ホストファザーとホストマザーからもらった2つの言葉は、
その後の生き方を左右する大きな財産になったという。

ホストファザーからもらった言葉は、この留学生とファザーが、
ある事柄について意見が食い違い、論争したあと、ファザーが言った言葉だ。

「僕はいくら怒っても、君を愛しているということに変わりはないんだからね。
喧嘩をしたってアッコ(留学生のニックネーム)のことを嫌いになったりなんか、
絶対にならないからね・・・」。

そして、続けて・・・「I love you no matter what」。
彼女は、この言葉を聞いて涙が止まらなかったそうだ。
本当に人を愛するということの深さを教えられたといっている。

ホストマザーからは、こんな言葉をもらった。
「Life is a series of choices(人生は選択のつながりだ)」。

英語の上達、アメリカへの憧れ、自分への自信・違う視野が欲しい・・・。
そんな願いを胸に、何もわからないまま、日本人が一人もいない学校に飛び込み、
もがき続けた彼女にとって、まさに一瞬一瞬が選択の連続。

それも自分だけの判断で選んでいかなければならないといった毎日だった。
それがいいのか悪いのか、正しいのか間違いなのか、
そんなことをゆっくり考えている余裕などありゃしない。
でも、それこそが<人生>そのものなんだと気づかされたという。

日本での生活では、知らず知らずのうちに周りにいる人たちに助けを求めている。
自分一人が生きているような気になっているけど、
それは周囲からの有形無形の助けがあってのことで、現実にはそれに甘え、頼り、
期待している自分がそこにいる。

本当の意味で<自分一人>にはなっていないんだ。

自分一人になって気づく、選択の難しさ、怖さ・・・。
短いけど、何度か同じような経験をした僕にとっても、それはまさに実感だ。

時間の流れに漠然と身を任せているんじゃなくて、もっと厳しく、真剣に、
自分の行動を見つめていかなければならない・・・。

今の自分を振り返り、そんなことを強く思う。

一生懸命 1秒

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『ブッダとシッタカブッダ』という癒し系のマンガで知られている小泉吉広さんが
こんな詩を書いている・・・。

 「はじめまして」
  この1秒ほどの短い言葉に、”一生のときめきを感ずる”ことがある。
 「ありがとう」
  この1秒ほどの短い言葉に、”人のやさしさ知る”ことがある。
 「がんばって」
  この1秒ほどの短い言葉で、”勇気がよみがえってくる”ことがある。
 「おめでとう」
  この1秒ほどの短い言葉で、”しあわせに溢れる”ことがある。
 「ごめんなさい」
  この1秒ほどの短い言葉に、”人の弱さを見る”ことがある。
 「さようなら」
  この1秒ほどの短い言葉が、”一生の別れになる”時がある。

 1秒に喜び、1秒に泣く 一生懸命 1秒

時間を大切にすることはもちろんだけど、
ちょっとした短い言葉でも、それが大きな結果を生むことだってある。

心を込めて大切に使っていきたいな。

I asked an English teacher.
"I want to know which is the best way to study English conversation."

The English teacher said.
"I'm sorry, Nagatoshi, but I can't help you."
"First, you've got to understand that so-called English conversation
 isn't a subject at all."
"It means simply to communicate orally in English."
"So, Nagatoshi, my advice is short and simple."
"In my English conversation classes I've found that my students enjoy
 talking about things that interest them."
"It's quite natural, of course, and no great discovery."
"Well, Nagatoshi, what interests you?"


「英語はただの道具だよ。
アメリカやイギリスに行けば、子供でも英語をしゃべるんだからね」

こう言ったのは、北野大(まさる)&武(たけし)氏のお母さん。
英語の教師になりたかった北野大さんに対し、言った言葉だそうだ。

幼くして父親に死に別れた北野さんのお母さんは、12歳で東京へ女中に出され、
そこで、自分は部屋の掃除や使いっ走りをさせられているのに、
料理や繕い物のできる女中は、自分よりはるかに待遇がよい・・・ということに気づき、
使える技術を身につけることがどれほど大切かということを実感したという。

で、お母さんは、息子たちに一生懸命勉強して、技術者になるように繰り返し言った。
3人の息子さんはその教えに従い(従わされて?)、
一番上の兄がシニア・エンジニアとなり、大手企業の部長。
大さんと武さんは明治大学の理工学部に入学。
大さんは科学研究者として大学で教鞭をとる傍ら、TVコメンテーターとしても
活躍しているのはご存じの通り。
武さんは8年も大学にいたものの、結局「頭がよすぎて(本人談)」大学を中退、
違う道で大成功を納めた。

英語の話からそれたけど、
僕には「偉大なる母の教え」がそこにあるような気がしてならない。

目先の点数ばかりを気にしがちな、今の教育に欠けているものを
思い出させてくれるようだ。

朝のうち降っていた雨も上がり、時折、太陽が顔を出す中、
稲枝地区ソフトボール大会が行われた。

Cゾーン、第2試合に出場した当町は、
初回、 ピッチャーの立ち上がりで苦戦したものの、
2回以降は持ち直し、打撃戦に突入。

地区ソフトボール大会1 地区ソフトボール大会2









中盤になって、両チームともにひと休みしたのか
点数の動きがなくなり、一時膠着状態。

そのまま最終回にもつれ込み、4点差で迎えた当町の攻撃。

地区ソフトボール大会3








1点を返し、2点3点と順調に追い上げ、
2塁3塁と逆転のランナーを溜めたところで、
痛恨の内野フライで2アウト。

次のバッターに望みを託すも・・・
3塁線に転がったボールは、無情にもファーストグラブに収まり、
ゲームセット。

8対9。

1点差で涙をのんだ。

夕方から行われた反省会では悔しさが爆発。
この借りは来年、絶対に返すぞと誓い合った。

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春祭り

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この週末は、町内にある「豊田神社」の春祭り。

近隣町のほとんども、この土日に春祭りが行われるようで、
あちこちの神社には大きな幟が立ち、飾り付けが行われている。

町内の氏神さんのお祭りなので、特別有名だとかいうことはないが、
朝から、氏子総代さんや社守さん、自治会役員などで準備をした。

夜には、「かんがり」とよばれる、笹竹を中心に藁を積み上げてつくった
大きな松明を燃やす神事が行われたものの、
近年、学校や仕事の関係で、祭り行事に参加する町民が少なくなり、
運営そのものが困難になってきている。

時代の流れとはいえ、なんだか寂しいなぁ・・・。

チャンスの神様

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新年度が始まって半月。
新しい環境にもそろそろ慣れてくる頃・・・。

こんなはずじゃなかったかも?
思っていたのと、ちょっと違うやん?

今日の歓送迎会で、同僚がそんな不安をもらし始めた。

そうじゃないって、ここに来るべき理由があったから
あなたはここに来たんだよ。
その『縁』をあなたはつかんだんだから、大事にしなくっちゃ。

僕の友人で、大学を卒業して社会人になり、
20代後半で再び大学に通うようになったヤツがいる。

本人曰く・・・

20代半ばをすっかり過ぎてるのに大学生になることになりました。
4月からは20歳前後の人たちとお勉強いたします。
この私のひょんな行動に周りの人々は驚いたり、感心していたりしています。
でも今回の私の行動は運・タイミング、そして私を取り巻く環境が
とても良かったから出来た事だと感謝しています。
友達は私の行動をとてもうらやましがっていますが、
私は誰にも出来る事だと思っています。
それを行動に移すかどうかが一番のカギだと実感しています。

で、この話を聞いた友人の仲間が、例えてこう言った。

「チャンスの神様って、前髪はあるのに後頭部はハゲてるんだよ。」

  チャンスの神様が向こうからやってくるときは、
  その人がチャンスの神様だとは分からないんだけど、
  近くまで来た時に「あっ!チャンスの神様だっ!」と気がついて
  前髪をつかむ事が出来た人はチャンスをつかめる人。
  チャンスがつかめない人は神様とすれ違った時に
  「あっ!今のってチャンスの神様かも・・・」と言って
  後ろを振り向いた時にはもう後頭部に髪はないからつかめないらしい。

どう? わかる~

あなたはこの場にいるチャンスを自分でつかみ取った。
だからここにいるんだ。

ポジティブにいこう!

以前、京都新聞に『高野優の空飛ぶベビーカー』というコラムが連載されていた。
(今は違う新聞を購読しているので、続いているのかどうかわからないが・・・)

毎回、その着眼点がとてもすばらしく、思わず笑ってしまうような文章が魅力的で、
添えられたかわいいイラストも、なかなか味があった。

その中の一つを今日は紹介しよう。

 娘を連れて本屋さんにへ出かかけると、近所のおともだち親子にばったり。
 大切そうに本を抱えているから、どんな絵本なのか興味があって
 表紙を見せてもらうと、 それは学習用のドリルだった。

 えーっ、四歳用のドリルなんてあるの?  
 そう聞くと、一歳からあると教えてくれて、さらにビックリ! 
 私はまだ文字も教えていないと話すと、
 今度はおともだちのお母さんがビックリ!
 母親同士で、お互いの価値観の違いにひとしきり驚いたあとは、
 おかしくなってふたりで大笑いした。

 そういえばこのごろ、
 あちこちから、ぽつりぽつりと塾の話題も聞こえてくるようになっていたっけ。
 教育に無関心な私を見かねて、そんなふうにのんびり構えてると、
 すぐに落ちこぼれちゃうよと、友人がアドバイスしてくれる。
 落ちこぼれないように、負けないように育てていかないといけないのかなぁ?
 競いながら育っていく世の中なんて窮屈だね。

 うちの娘はふたりとも、よく笑うし、よく泣くし、ごはんだっていっぱい食べる。
 花を見てはきれいだと感激をして、かなしい物語を読むと涙ぐむ。
 親か姉妹のどちらかを怒ると、もう片方は自然によりそって慰めている。
 こんなにものびやかに育っているんだもの、
 これ以上、何かを望んだらバチがあたりそう。

 あななたちの母ちゃんは落ちこぼれと言われつづけて、
 随分長い間おばあちゃんを悩ませてきた。
 それでも今、大好きなひとたちに囲まれて、支えられて、
 笑いながら過ごしているんだよ。
 落ちこぼれることは決してマイナスじゃないんだから、今のままで十分!
 でも、こんな私じゃ説得力もないかなあ?

どう? いいでしょ、なかなか。

人として、何を大切にして生きるか・・・。
それは決して「学力」だけ、じゃないよねっ!

beauty tips

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「ローマの休日」、「ティファニーで朝食を」など、
数々の美しい映画で知られるオードリー・ヘップバーン。

1992年のクリスマスイブ・・・
彼女は大好きな詩を二人の息子に読んであげたといいます。

Sam Levenson という人が孫のために詠んだ詩。
オードリー・ヘップバーンは、この詩が大好きでした。

 For attractive lips, speak words of kindness.
 For lovely eyes, seek out the good in people.
 For a slim figure, share your food with the hungry.
 For beautiful hair, let a child run his fingers through it once a day.
 For poise, walk with the knowledge that you never walk alone・・・・
 People, even more than things, have to be restored, renewed,
 revived, reclaimed, and redeemed and redeemed and redeemed.

 Never throw out anybody
 Remember, if you ever need a helping hand,
 you'll find one at the end of your arm.
 As you grow older you will discover that you have two hands.
 One for helping yourself, the other for helping others.

 魅力的な唇のためには、優しいことばを紡ぐこと
 愛らしい瞳のためには、人々の素晴らしさを見つけること
 スリムな体のためには、飢えた人々と食べ物を分かち合うこと
 豊かな髪のためには、1日に1度子供の指でといてもらうこと
 美しい身のこなしのためには、決してひとりで歩むことがないと知ること
 人は物よりもはるかに多く回復し、復活し、生き返り再生し
 報われることが必要なのです。繰り返し報われることが。

 人生に迷い、助けて欲しいとき、いつもあなたの手のちょっと先に
 助けてくれる手がさしのべられていることを、忘れないで。
 年をとると、人は自分に2つの手があることに気がつきます
 ひとつは自分自身を助けるため、もうひとつの手は他者を助けるために。

晩年、オードリー・ヘップバーンは、特に世界中の子供たちの
飢餓・貧困撲滅のために尽力したといいます。
なるほど、それにふさわしい言葉だという思いがすると同時に、
今の自分自身に何度も言い聞かせたい言葉です。

本当の「美しさ」って何なのか。
人に手が二本ついてるのは何のためなのか。

この詩に書かれていることは、人がもっとも忘れてはいけないことなんだ・・・
そう思います。

漫才師のトミーズ雅さん。
彼には人生経験から得たいくつもの哲学があるそうだ。

 「しょうもないことの連続が幸せ」

 「幸せになりたかったら幸せのレベルを下げたらいい」

 「おいしいものを食べようと思うより、おなかをすかせればいい」

 「しんどい思いをしないのに、いいことはない」

 「神さんはしんどいことをした人に、幸せな時間を必ず与えてくれる」

ちょうど僕と同い年。
だからって訳じゃないが、ウンウンと納得する言葉ばかりだ。

思わずココロが軽くなった。

何かにくじけそうになったとき、思い出そう・・・。

自分にとって「先生」と呼べる人・・・。

なにも学校の先生に限ったことじゃないが、
その人から大きな影響を受け、生き方や考え方、職業選択、
あるいはその後の人生までもが大きく変わってしまうことがある。

僕自身も、現在の“教師”という仕事を選んだ理由。
その中でも理科という教科を専攻し、一面では、本を読んだり、
こんなふうに文章を書くことが苦にならないということ・・・。

そういったことの背景には、どこか、今まで接してきた「先生」に
影響されている部分があるような気がしてならない。

まず、僕が教師という職業に就こうと思ったこと。
それは、小学校1・2年の担任だった藤原先生の影響が大きい。
もちろん、まだ小学生になったばかりの頃だったから、その当時の僕に、
自分の将来についての具体的な考えなどあるはずがない。

でも、藤原先生から感じた「教える」ということに対する情熱、
それは「思いやり」に満ちた「やさしさ」が基本なんだということ・・・。
当時、幼心に実感として伝わってきた、先生の心のこもった真摯な態度は、
その後、僕自身が教師への道を選ぶ大きなキッカケになったように思う。

今でも思い出す、子どもと接するときの藤原先生のキラキラと輝いた、
楽しそうな顔・・・。
当時、すでにオバサンと呼ぶにふさわしい年齢だったが、
僕たちと一緒にいる時の優しさに満ちた表情など、
先生としてどうあるべきかという意味も含めて、
今の僕にとって、大きな心の拠り所になっている。

また、藤原先生には、小学校の卒業式でホッペに“チュッ!”と
お別れのしるしをしてもらったこと、
卒業してから先生の家に遊びに行って、そのとき出された梅酒で
顔を真っ赤にしたことなど、今でも鮮明に覚えている思い出がたくさんある。
それらのことも、今の僕にとっては、
どこかで心の支えになっているような気がしてならない。

次に、本を読むことが好きで、文章を書くことが苦にならないこと。
これは、中学校の国語の先生の影響が大きい。
中野先生というこれまたオバサン先生(どうも、僕はオバサン系に弱いようだ)
だったが、単に教科書の内容を説明したり語句の解釈をするだけではなく、
何とも言えない語り口調で、物語のすばらしさ、自分の気持ちや思いを
文章にする楽しさ、そういったことを繰り返し教えてもらった。

そして、「どんな勉強も“国語”が基本」
「文章が理解できない、漢字が満足に書けないようでは、自分自身が困る」
「毎日使う日本語がしっかり読み書きできずに、どうするの」
「生きていく上で“国語力”が影響する部分ってすごく大きいんだから」・・・
なんてことを、何度も何度も、毎日の授業の中で聞かされてきたような気がする。

さらに、これらの先生以外にも、理科が好きになるキッカケをつくってくれた先生。
英語が嫌いになる原因(とはいっても、自分の勉強不足が一番大きいのだが)
になった英文法の先生など、中学から高校、大学にかけて、
本当にたくさんの先生に影響されつつ、今の自分がある。

そんなふうに考えると、今こうやって教壇に立っている自分はどうなのか。
生徒にとって、果たしてどんな先生なのかと振り返らずにはいられない。

たとえほんのささやかな場面でもいい、
いい影響を与えるような先生でありたいと願っているのだが・・・。

現実は●▲★?!。

朝から黄砂でどろどろになった車を洗い、いざドライブ~

なーんてことになればいいのだが、そうはいかないのがツライ。
せっかくの日曜だというのに、またまた自治会デー。
とにかく決めごとや、書類作りなどなど・・・雑務が多くって。

そんな中、夜に各種団体の役員さんに集まってもらい、
今年度の年間行事予定の調整会を行った。

保育園、子供会、小学校PTA、中学校PTA、女性の会、
老人会、お寺関係、お宮さん関係、体育振興会、自治会・・・。
それぞれに、一年間さまざまな行事が目白押し。

どこもたいへんだなぁ~。

この一年間、どうか無事に乗りきれますように!

ビタミンF

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ビタミンF

本棚を整理していたら、一冊の本が出てきた。

『ビタミンF』(重松清著)。

第124回直木賞受賞作で、以前、友人が
「これ、読んでみて・・・」といって紹介してくれた本だ。

7つの短編からなるこの作品は、著者の言葉を借りれば、
Family、Father、Friend、Fight、Fragile、Frotune・・・
など『F』で始まるキーワードをそれぞれの作品に埋め込んで、
ひとの心に「ビタミン」としてはたらくことをめざしているとのこと。

どうも、ベストセラーの類にはある種の抵抗感を感じる、へそ曲がりな僕・・・。
それが、読んだとたん「これって、ウチの話みたいじゃん」って、随所で身につまされ、
ドキッとし、ホロリとし・・・。

不覚?にも「うん、そうそう、そうなんだよね~、わかるわかる」と、
見事に感情移入してしまった。

描かれているのは、ごく普通の、ありふれた家族の風景なのに、
その中で起こるさまざまなトラブルに立ち向かうお父さんの不器用さが、
なんだかとてもせつなくて・・・。

でも、各編の締めくくりには希望が見え隠れしていて、ある種の癒し系的な作用も
感じられるステキな短編集だった。

ささやかだけど元気が出てくる、オススメの一冊だ。

陽転思考

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あるがままを受け入れ、あくまでも“自然体”で生きている人。
画家でもあり、人前で話しもする。
木綿を藍で染めた質素な服を身にまとい、終始、にこやかな表情で人に接する。
そんな人、佐藤勝彦さんが、著書『ええがな・ええがな』でこんなことを言っている。

  真実といえばたいそうな感じがするが、何のことはない。
  思い方を変えれば、いつでもわかることなのだ。
  神の存在にしたって、
  あるかどうかを議論して勝った負けたで話がすむものではない。
  理屈を抜きにして思い方を変えてみれば、存在すると思えば思えるし、
  存在しないと思えば存在しないのであって、
  要は思い方によってどうにでもなるということなのだ。

  快川和尚が、心頭を滅却すれば火もまた涼しと言ったように、 
  思い方によってはどうにでもなる。
  熱いものが涼しいとは誰でも信じ難いと思うであろうが、心の持ち方、
  言い換えれば思い方を修練したら、だんだんとできるものだといえる。

  自分たちの毎日の小さな出来事も同じことで、
  何事も神のおぼしめしだと思うことを毎日毎日続けておれば、
  だんだんと本当のようになって、その方がどんなに幸せかを知るようになる。
  ケガをしても、神様のおぼしめしでこれから気をつけるようにと言われている
  と思えば何のことはない。痛みなんかどこかへ吹っ飛んでしまう。
  お金をなくした時でも、これから気をつけなさいよと言って下さっているんだとか、
  お金なんぞ始めからなかったんだとか、いろいろな悩みを消す工夫をすれば、
  自分なりに元気を取り戻せる。
  これも神がそう思わしめて下さったのだと思えば、はじめの腹立たしさや悔しさが、
  いつの間にやら感謝に変わってくる。

  人間は、こんな便利な心というものを与えてもらっているんだから、
  しっかり使わんともったいない。
  同じことでも思い方しだいだ。
  思い方しだいで、自分が選ばれているとか、自分は神様に守られているとか、
  いくらでも思うことができるものだ。
  しかし、そうは言っても人間だから、こだわったり腹を立てたりすることは起きる。
  その時はその時、自分を反省するなどして、自分で自分をいい方へ向かわせるよう、
  思い方を変えればいい・・・。

何かをしようとする時、まず何よりもそのマイナス面に目がいき、
「こんなことしたって、何もならない」「こんな条件ではどうせ無理だ。やる気もでない」
などと言う人がいる。やる前から、勝手な理由をつけて逃れようとしているのだ。
たぶん、するのが嫌なのだろうが、何もしないうちから結果なんてわかるのだろうか。

確かに、これまでの経験から、ある程度の予測はつくかもしれない。
でも、やり方を変え、努力してみれば、
もしかすると違った結果が生まれるかもしれないのだ。 
ふだんなら、コップ半分の水に対して「なんだ半分しかないじゃないか」と思うのに、
いざ、これが砂漠をさまよっている時なら「よかった、半分もある」と、
そのありがたさに大感激するのが、われわれ人間なのだ。

同じことでも、受けとめ方しだい・・・

常に物事のプラス面を感じられるような自分でありたいと思う。

さっき、パソコンに向かっていたら、突然、画面が真っ暗になった。

え~っ、どないしたん?!

よく見ると、うっすら・・・というより、
暗い画面の奥深くに、いま動かしている画面がかろうじて写っている。

そういえば、以前から画面がちらついたり、一部赤っぽくなったりしてたっけ・・・。

電源を入れた時点から画面が明るくならず、Windows 起動画面も暗い。
状況的に見てウィルスではなさそうだし・・・。
う~ん、いったいどうなってしまったんや。

BIOSを初期状態に戻し、ディスプレイドライバを入れ替えても、状況は変わらず。
いよいよ液晶が壊れた可能性が濃厚になってきた。

NEC製なので、121ware.com の<サポートQ&A>を探してみたところ、
”液晶画面が暗くなってしまいうっすらとしかみえない”の項目があったが、
すでに試してみた対処方法が書かれていただけ・・・。

で、その下に、修理の場合ということで
  インバータが壊れていたら、¥26,250~¥29,400
  液晶が壊れていたら、15型未満で¥59,850~¥63,000
  15型以上19型未満になると、¥80,850~¥84,000

・・・とあった。

これに手数料(診断費用)が上乗せされるので、実際にはもっとかかるらしい。

あかん、あかん!

しまっておいたデスクトップPC用のディスプレイを取り出し、ノートパソコンに接続。
閉じたらキーボードが打てないので、役に立たない液晶画面を開いたまま、
なんとも間抜けな格好でパソコンを使う羽目に・・・。

何も悪いことしてないでぇ~!

誰かぁ~、新しいパソコンを買ってくれぇぇぇ.....。

いまを生きる

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年度の始まり・・・
何もかもが新鮮で、誰もが「期待」という言葉に自分自身を奮い立たせようとする。

明日への希望に満ちあふれた感のある、この時期。
ふと気がつくと、日々の過ごし方に思いを巡らせている自分がいる。

ずいぶん昔になるが、毎日新聞(朝刊)の『余録』に、こんな一文があった。

  詩人・英文学者の加島祥造さんは10年ほど前、
  ある女子短大の新入生歓迎パーティーで学生に呼びかけた。
  「これからの2年間は、命Lifeの明るい光Lightに、愛Loveと笑いLaughterに
  いちばん恵まれる時だ。遠慮せずに、この4Lをできる限り味わってほしい」

  その2年後、加島さんは定年退職することになり、
  卒業生のパーティーであいさつした。
  「あなたたちはこれから社会に出てゆく。私はこれから社会を出てゆく。
  『に』と『を』の違いだが、二つの方角は正反対です。
  生きてゆくうえで共通の道があるとすれば、それは何か」

  「それは『今日をしっかり生きてゆく』という言葉です」。英語でLive today。
  「西欧ではラテン語『カルペ・ディエム』として古来から伝わってきた思想であります。
  どんな戦乱や物質的繁栄のなかをも図太く生き抜いてきた思想です」

  「私はいま、その言葉の意味を説明したりしません。
  あなたたちの胸に納めておいてくれればよい。この道は個人個人の生きる条件や
  矛盾の下をくぐって、4Lにつながる地下茎であると思うのです」。
  こう言って互いに逆の方向へ行く旅立ちを祝ったという(「いまを生きる」岩波書店)

  いまを生きる。そういえば作家・水上勉さんも「一日暮らし」と言っていた。
  一生と思うから大変だが、一日と思えば何でもできる。退屈することはない、と。
  電車の中で暴力を振るったり、ホームであぐらをかいたり、
  構内で酒盛りをしている若者は貴重な一日を無駄にしている。もったいない。

今日をしっかり生きれば、命の明るい光に、愛と笑いに恵まれる。

至極当然のことだ。

でも、これは”明日のための今日”ではない。
将来のために「いま」という時間があるのは事実だが、
「いま」を犠牲にして、あるいは「いま」を無駄にして、どんな将来があるというのだろう・・・。

<いまを生きる>

将来のための「いま」ではなくて、「いま」のための「いま」。
「いま」しかないこのひとときを、最大限に輝かせるために・・・

「いま」を大切にしたいと、改めて思う。

新しい仕事で出会った人から、こんなことを言われた。

「初めまして!といっても、実は以前にお会いしてるんです。」

・・・えっ??

「○○研修の時、△△の発表をされましたよね。
同じようなことを考えていたんで、すごく心に残っています。」

・・・うそやろ~。あれからもう17・8年くらい経ってるでぇ(^_^;)

まぁ、当時の僕としては、けっこう力を入れてやっていたことで、
人前に出しても恥ずかしくない取り組みではあったけど、
今にして思えば”若気の至り”的な部分もあって、まだまだ未熟。
この期に及んで、お褒めの言葉をいただけるようなシロモノではない。

ホンマかいな?

・・・いえいえ、あの時はまだ駆け出しでしたから。
  今ならもっとちゃんとしたものができると思います。

あまりにも唐突に、とても参考になった、なんて言われても
どうリアクションしてよいものやら、思わず照れ笑い(^_^;)

でも、思ったね。

自分の言動を、いつ、どこで、誰が見てるか、聞いてるかわからない。
気を抜いて、適当に誤魔化したり、嘘をついたりしていたら・・・

あ~、この人はこんな人なんや・・・と

その時は直接、何も言われなくても、
相手の心にそれがしっかり刻まれてるってこと。

だから、人と接する時はもちろん、人が見ていようが、見ていまいが、
いつも真剣に、相手のことを思いやり、気を抜くことなく、真面目に
物事に取り組まなくてはダメなんだって。

一生懸命努力すれば、きっと見ていてくれる人がいる!

今日の出会い・・・
改めて、僕自身「がんばろう!」って気持ちを思い起こさせてくれた。

よっしゃ、がんばるでぇぇ~

ステキな言葉・・・ありがとう。

そうだ、まだ報告していなかったっけ・・・。

仕事のことなんだけど、
この4月から新しい環境に身を置くことになった。

思えば2002年に教壇を離れてから、
波瀾万丈?! ホントにこの4年間、いろいろあったけど、
ここにきて、再び・・・

じっくりと腰を据えて取り組めそうな場所が見つかった。

一頃流行った「フォーティーズ・クライシス」(40歳の危機)
という言葉に端を発した心の揺らぎのなせる技だったのかどうか、
今もって自分でもよくわからないが、
とにかくいろいろなことを学ばせてもらった。

そういう意味では貴重な、大いに収穫のあった4年間だった。

多くの人に出会い、心を通わせ、泣き、笑い、議論しあった。
やはり何をおいても『人』・・・それこそが一番の財産だ。

人とのふれあいの中でこそ、人は磨かれ、輝いていく・・・。

それを実際の行動として伝えていく舞台が、今、目の前にある。
がんばろう!

今日は朝9時から、自治会主催の『うるおいボランティア』。

うるおいボランティア1 るおいボランティア2 

約20名の参加を得て、小雨の降る中、約一時間、
町内の道路を中心に空き缶や空き瓶を回収し、集積所に集めて分別。

なんでこんなに空き缶がたくさんあるの?

るおいボランティア3

けっこう、田んぼへのポイ捨てが多いんです。

困ったもんだ。

個人の自覚ですよ、自覚!
しっかりして下さい。頼みますわ、ホント・・・。

で、それが終わった後は、交通安全啓発の幟立て。

交通安全啓発1 交通安全啓発2

なかなか大変な一日だった。

いよいよ、Movable Typeで作った”自家製ブログ”の公開で~す!

少し前にできあがってたんですが、なかなかアップする時間がなくて、
それならば切りの良い4月からということで、今日のお披露目となりました。

このホームページ『Chit-chat』をオープンしたのが2000年4月。
そろそろ全体を見直して、ブログ化するのもひとつかなぁと・・・。
まっ、それはもう少し余裕ができてから(^_^;)
ひとまずcgiで動かしていたDiaryをブログ形式にしてみました。

毎日せっせと書いていきますんで、よろしくお願いします。

We have some "actual feelings to live" every day.
I am going to write "the small joy and surprise" in this blog.
Please send your comment! Let's talk together!