「ことば」の大切さ

青空が爽やかに晴れ渡った今日、午後はウォーターステーション琵琶へ行ってきました。河川レンジャー制度運営委員会が開かれ、自身のレンジャー活動中間報告と委員会の傍聴、その後の意見交換会・・・と盛りだくさんの内容をこなし、先ほど職場に戻ってきたところです。

運営委員や琵琶湖河川事務所の方々、レンジャー活動支援室のスタッフなどなど、立場やバックボーンの異なる皆さんとお話させていただく中で、いろいろな気づきがありました。

直接活動に関わることはもちろんですが、なかでも今日は、特に「ことば」というものに対して、その重要さを改めて感じさせられました。何かがあったわけではありませんが、発表や議論を通して、何度も「ことば」(言い方や表現も含めて)・・・がココロに引っかかりました。

結論から言えば、話しことば、書きことば、そのいずれにしても、使うときの配慮(使い方、使う意味・・・)が大切であり、ふだんから「ことばをもっと意識して」使わないとダメだなぁということです。

帰りの車の中で、運転しながらずっと「ことば」について考えていました。

何気なく言ったひと言・・・

その真意が相手にキチンと伝わらないばかりか、誤解されることもよくある話。時間が十分にあって、後で議論し「あぁ、そういうことだったのか」と納得できればいいですが、多くの場合そのままになってしまっています。

報告書や手紙、メモなどで、あまり気を留めずに使った単語・・・

書き物に慣れている方、仕事上たくさんの報告書を書かざるを得ない方、行政関係の方々なら、どんな言い回しが適切か、逆に使ってはいけない表現だとか、そういうことの訓練をある程度してきておられます。でも、ふだんの生活の中では、さほど気にせず、その場の思いつきで書いたりしています。

使った「ことば」がどういう意味を持って相手に伝わっていくか。時代の流れで、「ことば」のもつ重みが薄れ、簡略化、省略化され、テキトーに使っても何の違和感もなく、むしろその方がイケテルみたいな感覚は、どう考えてもおかしいことです。

「ことば」を正しく、丁寧に使わないから、意思疎通が十分に図れず、人間関係が希薄になり、表面やその時の気分で相手を判断し、深くつながれず、信じられないと愚痴を言い、気の合う者だけの戯言で気を紛らわせ、そのくせ自分をわかってほしいと常に甘え・・

いまの社会で起こっているさまざまな問題の根底に、コミュニケーションの道具である「ことば」を、我々自身が「軽視している」ことに気づく必要があると思います。

「言霊」というとちょっと違うかもしれませんが、それほどまでに影響力をもっている「ことば」。その意味や使い方、使う場面など、過去から受け継がれている文化的な側面も踏まえつつ、もっと大切に、生活を豊かなものに彩る素材として、正しく、丁寧に、しっかりと意識して使っていきたいと思います。

加えて、教育現場にいる人たちは、なおさらそのことをしっかりと心に留めておく必要があると思います。


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