改革に正解はない。必要なのは正解に「していく」ことだ!

ゴールデンウィークが終わって、「いつになったら更新するねん!」って・・・。いま、8日(土曜日)の朝、皆さんオハヨウゴザイマス!

中学では、今日も授業日。みんないつも同様、元気な顔で学校に登校してきた。まぶしい朝の光とすがすがしい風が、ココロとカラダにエネルギーを与えてくれているようで、はち切れんばかりの笑顔がうれしい。

通常の仕事モードに入ると、「う~ん、やっぱり忙しいわ。思うように時間がとれないのよね~」。どうしてもここへの書き込みが後回しになってしまう。自分的には、一日を振り返り、思考を整理する意味でも大事なブログなのに、これではちょっとアカンがな・・・。

さて、思考の整理という点では、今日もその必要「大あり」な出来事があった。改革プロジェクト会議だ。若手3人を新たに加え、新体制でスタートしたプロジェクト。実質検討メンバーに管理職が入らず、いわば経営者直轄で、現場教員の「前向きな意志決定」を尊重した改革検討、実行部隊となっている。

もちろん、その統括者である僕としては、プロジェクトの進行を見極めながら、管理職や経営者との間で連絡調整、意見交換を行い、方向性を見失わないようにしていかなければならないわけで、そこが最大の難関、改革の命綱とも言うべき関所となる。

どの先生の意見にも、それなりの理由があり、学校の将来を思っての発言であることには変わりない。数学の答えのように、それが正解か間違いか判断すること自体、そもそもおかしいことであって、結局は、どの意見も「やりよう」によって、正解になったり間違いになったりするということに過ぎない。

あのやり方、いいかも。

本校も、これを取り入れたらどうだろう。

周囲を見渡し、「これはいいかも」と思えるような材料を見つけることは大いにけっこうだ。しかし、それをそのままやってみたところで、うまくいくはずがない。

複雑に絡み合った糸をひもとくように、相互の関連性も踏まえた上で物事を俯瞰して見ながら、これまでの経緯を押さえつつ・・・

何よりも、内(教員)からの目線ではなく、外(生徒や保護者、地域の人)の目線に立って判断し・・・

結局は、「何」をやるかではなくて、「いかに」やるか・・・

素材も大事だが、それ以上に調理法や調理人の気持ちの方が、料理の味、できばえ、評価に大きな影響を与えることを忘れてはならない。


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