袖振り合うも多生の縁

偶然にしては「でき過ぎ」のような、まるでTVドラマのような出来事って現実にあるものだ。これは今から10年ほど前、以前勤めていた女子高での話・・・

ある日、突然一人の耳の不自由な方が、職場に僕を訪ねてこられた。まるっきり見当もつかず「そんな人知らないんだけど・・・」と、ちょっと不思議な気持ちで玄関に行ってみると、何枚かのFAX用紙の束を持ったおじさんだった。

「この宛先に書いてある名前は、貴方ですか?」

その場で紙に鉛筆を走らせ、筆談で一生懸命に伝えてくださった。よく見ると、いつもAustraliaの姉妹校の先生から届いていたFAX用紙だった。

「どうして、これが貴方のところに届いたのですか?」

思わず声を出して聞こうとして気づいた。そうだ・・・、書かないと伝わらないんだ。すぐさま思い直し、紙にペンを走らせる。

「お宅のFAX番号は何番ですか? うちの家は○○○-□□57なんですが・・・」
「学校は、○○○-□□51ですけど・・・」

よく見ると、姉妹校の先生が本校への送信を頼もうとして書いた番号が、どう見ても「□□51」じゃなく、5と1がくっついて「□□57」に読める。どうやら、送信を頼まれた人が読み間違えて送信してしまったらしい。

FAXの内容は、本校への訪問日程変更を知らせるものだった。いくら番号が1つ違っただけとはいえ、別のところに届いていたら、それっきり・・・。こうやって手元に届くなんてことはなかったかもしれない。

知らないまま当日を迎えていたら、いったいどうなっていたことやら・・・。そう思うと、本当にありがたいことだと感謝せずにはいられなかった。

FAXが届いたのが親切な人のところ、おまけに近くに住んでおられる人だということが幸いして、大切な連絡が、こうやって僕の手元に届いた・・・。

なんだか、すごくあたたかいものがこみ上げてくるような感じがして、うれしくなった。人柄のいい、優しそうな、素朴なおじさんの笑顔が、とても印象的だった。

その後、FAXを受け取り、お礼を言って、お名前と住所を聞いて、その場は終わった。

でも、この出来事がいつまでも頭に残った・・・。偶然とはいえ、このことに何か運命のようなものを強く感じてならなかった。

帰り道、ちょっとしたお礼の品に手紙を添えて、そのおじさんの家を尋ねた。呼んでも返事がないので、そっと玄関の扉をひくと、スルスルと開いた。中を窺うと、すぐ奥の部屋に灯りがついていて、おばさんが縫い物をしている姿が目に入った。向こうもすぐに僕に気づき、なんだろうといった顔で玄関に出てこられた。おじさんの<奥さん>のようで、同じように耳が不自由だった。

話してもダメなので、お礼の手紙を見せながら、笑顔で感謝の気持ちを伝えた。読んだとたん、すぐにわかってもらえて、おばさんの表情がパッと明るくなった。「そんな・・・、お礼なんて・・・」と恐縮されたが、さらに気持ちを伝えようと、もう一枚、あらかじめ書いておいた手紙を見せた。

「今日の出会いは、きっと何かのご縁だろうと思います。どうかこれからも、一人の友人としてお付き合い願えませんか・・・」

残念ながら、おじさんは留守だったが、おばさんはその手紙を丁寧に受け取って下さった。「ウチの主人は、もう年寄りです。貴方みたいなお若い方と友だちなんて・・・」。確か、そんなことをいっておられたように思うが、家におじゃまさせてもらって、より一層、このおじさん、そしておばさんの心が伝わってくるような気がして、なんだかとても清々しく、あたたかな気持ちになった。

夜、8時半頃、持ち帰り仕事をしていたら、一通のFAXが届いた。おじさんからだった・・・。

『こんばんは! 本日は、初めてお会いしてFAXを渡しただけで・・・(中略)。お互いに助け合ってすることは一番よいことですので、迷惑をかけることはありません。当たり前のことです。それで仕事がスムーズに進められるとのこと、よかったですネ! 話は変わりますが、毎日、女の子の高校生と共に行動(勉強、運動、会話など)するわけですが、楽しい仕事だナ~と思えて、イイナ~と感じます。今後、お付き合いできれば・・・と嬉しく思います。』

最後の方は思わず笑ってしまったが、なんとも言えないあたたかな文面に、またまた今日の出来事がよみがえってきた。

なんだか、とてもいい出会いができた、ステキな一日だった。

その日の日記を、僕はこんな言葉で締めくくった。


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