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もはや車も電子機器? 新型プリウスのリコール

先週木曜日、お世話になっているトヨペット店から電話があって、ヨメの乗っている新型プリウスのリコール作業について、都合を聞いてきた。「日曜ならいいよ」ということで、今日の午後3時半に作業の予約。買い物のついでに立ち寄った。

作業内容は、ブレーキの制御プログラムの書き換えということで、回生ブレーキ(ふつうの車でいうとエンジンブレーキ)から油圧ブレーキに切り替わる瞬間の時間を短縮し、トヨタの社長さん曰く「ほんの一瞬ブレーキが抜ける感じ」(=空走感)を感じにくくするのだという。

まるでパソコン機器のファームウエアやドライバを更新するがごとく、不具合を修正したプログラムにアップデートする作業なわけで、書き換え自体はほんの2分程度だとか。これじゃナビデータの更新より早い。

前後の準備、確認作業を含めて30〜40分程度必要だということだったので、車を預けて買い物に行き、戻ったらきれいに洗車までしてくれていて、「なんだか悪いなぁ〜」って感じ。かなり汚れてたから・・・。

それにしても、ここまで電子化されると車のイメージも昔とは大きく違う。油にまみれ、スパナやドライバーを手に分解し、修理や調整作業をしたりといった作業が大幅に少なくなり、エンジン周りなど、どこが悪いのかはコンピュータをつなげばわかるというのだから、メカニックの仕事も大きく変わってきた。

これじゃ、車というより、動く大きな電子機器って気がしてくる。特にプリウスのようなハイブリッド車は、なおさらそのイメージが強い。昔気質の職人さんが、熟練した技術とカンでエンジンの調子や走りを調整していた時代とは違うのだ。多くの作業が「人」から「コンピュータ」に移行し、やがてすべてコンピュータ頼みで事足りるようになっていくのだろう。

何から何まで「デジタル化」されていく世の中で、果たして人間は「人間らしく」生きていけるのか・・・。

今や、脳の動きや感情までもデジタル化され、コントロールできるようになりつつある。理論上は十分、サイボーグだって作れるはずだし、すべてコンピュータ管理で生活が営める、いや、すでにコンピュータなしでは生きていけない環境に置かれているのが実態だ。

電気、水、自動車、テレビ、携帯電話、インターネット・・・。我々の生活を便利にしてくれるものがどんどん増えた反面、自らの手で育て、創り出し、工夫し、改善していくといった「何とかしよう」という意識がなくなっていくのが恐い。


「七草がゆ」と「始業式」

正月7日の朝と言えば・・・、そう「七草がゆ」。

正月疲れが出始めた胃腸を回復するために、また、早春にいち早く芽吹く七草を食べることで、邪気を払い、その年は無病息災でいられるということで食べるのだとか。

けっこう、昔のしきたりめいたものが残ってる我が家では、お正月の雑煮やおせち同様、食べることになっていて、今日の朝ご飯はこれ!

子どもの頃は畑などから取ってきた野菜で、なんとなく趣があったが、今やスーパーで買ってきたものばかり。それでも、子どもの頃から身体に馴染んでいるだけに、こういう習慣はやっぱりいい。

そして、7日と言えばもう一つ、学校が始まる日で「始業式」。

中高合同始業式の後、中学生だけで「新年のつどい」を行った際、副校長先生から、「新年、つまり《新しい念を起こす》という意味もあるんだ」という話を聴いた。今年一年、こういう「思い」で、こんな「誓い」をしてやり抜くんだという気持ちを持って、頑張ってほしいと思う。

最近では昔と違い、式と掃除とホームルームの午前中日課ではなく、授業時間数の確保ということで、高校では2時間目、中学では3時間目から通常どおりの授業。さすが新年最初の授業、ちょっぴり緊張感が漂い、子どもたちにも気合いが入っていたように思う。

そんなこんなで、過ぎていった今日一日・・・

一年の中で何日かある、いわゆる「節目」にあたる日。ただ、しきたりや儀式として「形」だけで終わらせるのではなく、そこに「心」
を添えて、その意味を大切にしたい。


一足早いクリスマスプレゼント?

午前に中学、午後に高校と、今年最後の入試説明会が開かれた。直接、担当したのが中学の部だけだったので、参加者の皆さんとランチをともにして歓談した後、自分の仕事をする時間がつくれた。

来週月火と、あと2日間残された2学期。授業や保護者会、終業式などの準備をして、夕方帰宅。

その後、仕事を終えて帰ってきた家族と一緒に買い物に出かけた。立ち寄った彦根のユニクロで、ヒートテックやセーターなどを大感謝価格でゲット。レジで支払いを済ませると、「いま、ラッキーカードを引いてもらってます。4枚お引き下さい・・・」と。

あっ、そっか。創業60周年記念還元キャンペーン祭があったよな~ってことで、カードを4回引いて開いてみると、なっ、なんと! そのうちの1枚が「あたり」。その場で1万円が当たったのだ。

恐るべし、ユニクロ!

ありがたき、ユニクロ!


老化は足腰から? いや「眼」も・・・だ

夜中の職員室、足元が寒い。

コーヒーであったまろ~っと。

(カップを持って立ち上がる)

待て待て、それじゃ帰ってからのビールがおいしくないって。

(ポットに向かって行こうとして、立ち止まる)

そんなことより、仕事を早く片付けて帰ったら?

うむ、ごもっともなことで

(と、仕事に戻る)

 ・・・ ・・・ ・・・
 ・・・ ・・・ ・・・

えっ? なんて書いてあるの? ちょっとその字、読めないんだけど

薄暗い中、小さな字を読もうとすると、決まってメガネに手がいく。かけたままでは読みづらくて(だって焦点が合わないんだもの)、結局、外して読む羽目になる。

なんかオジンくさ~い。

ヤダヤダ

今、使ってるメガネ、レンズは二代目。いつ頃だったか忘れたが、見づらくなって、フレームはそのままにレンズだけ交換した。その時、測ってもらったら、すでに老眼の兆し・・・

「お客さん、遠近両用のレンズ入れます?」

「何言ってるの、まだそんな歳じゃないよ! 大丈夫、ちゃんと見えてますから!」

もちろん、遠くは十分クリアに見えて視界良好。車の運転だって、昼夜を問わず問題なし。

当たり前やろ! 老眼って・・・そういうことじゃないんだから。

手元はどう、ちゃんと見えてる?

新聞を手にとって、広げて読んでみる。

あれっ? ぼやけるでぇ~ 少し暗いと、全く読めんよ~になるわ

アハハ、それよ。それが老眼やん!

というわけで、その時点でもうすでに怪しかったから、今、手元の小さな文字が読みにくいのは当然のこと。あれから確実に歳を重ねているわけだし、老化は進んでるハズ。

どうやろ、40センチくらいかな? それ以上近づけると新聞の字なんかは輪郭がボワ~ンとなって、ぼやけて読みにくい。ちょっと暗いところになると、もうダメ。メガネを外さないと読めなくなってしまう。

そろそろ替え時か・・・

今度こそ「遠近両用」って? それだけは勘弁してほしいなぁ~


24th Wedding Anniversary

今日12月1日は結婚記念日・・・

1985年12月1日。確か、冬とは思えないほどいい天気で、暖かな日だった。

あれから24年。3人の子どもも成長し、一番下が今年から大学へ。

親の務めも、あとわずか・・・かな?

これといって特別なことがあるわけじゃないけど、今日は早く帰ろう!

いま21:37。パソコン閉じて、セコムるのだ。


忘れた頃に微熱、時々咳

火曜日に書いたブログ以降、何となく体調がスッキリしないので、昨日、近くの医者に行って診てもらった。昔から続く、地域の大事なお医者さん。お父さんが病気で引退せざるを得なくなり、大学病院から医院を継ぐために戻ってきた、なかなかのイケメン先生だ。

37.2℃。症状からみて軽~いインフルエンザかもしれないけど、先週の土曜からだとすると、これ以上熱が出ないのなら、普通の風邪がこじれたみたいになってると考えるのが一番いいかな?

・・・ってことで、風邪薬と咳止め、解熱剤を処方してくれた。

すぐにはよくならないかもしれないけど、我慢してね~。仕事も休めないだろうし、人にうつすとしても日が経ってるし、あまり無理しないようにして薬飲んでてくれたら、治ると思うよ。

今日、一日終えてみて、少しはよくなったような感じ・・・。

ありがたい! この調子で頼むぞ!


喉が痛い、微熱、多少・・・鼻グズグズ

土曜日の夜、何となく喉が痛くなって・・・あれっ? ちょっと熱があるかも??

まさか、インフルエンザじゃあるまいな・・・

日曜もその影響で、スッキリとはいかない一日を過ごしたものの、その後、持ち直したので、月曜日は野球部の三送会に出席。

で、今日、月曜日。

朝は何ともなかったが、学校にいる時間が経つにつれ、あれ? ちょっと鼻声、咳も出るぞ、カラダが少し熱っぽいかも。

とは言え、熱が上がった感じもなく(あっても37℃くらい)、家に戻って様子を見たが、それ以上ひどくなる気配もない。

あまり熱が出ないインフルエンザもあると聞くが・・・どうなんやろ~

もし、明日の朝、熱が出ていたら医者に行こう。


祈りは谺(こだま)

今日のお昼、空き時間を利用して、父母教の副会長・河村さんと東近江市能登川町の安楽寺を訪ねた。住職の普照房慈弘さんに、保護者会での講演をお願いするためだ。

9月12日(土)の京都新聞「地域プラス面」にも、元プロボクサーという異色の経歴をひもときつつ、その生き方が紹介されていた住職。

詳しくは講演を聴いていただくとして、ここではふれないでおこうと思うが、今日も「お願い」に行っただけにもかかわらず、気がつけば2時間以上も話し込んでしまうほど、痛快で奥の深い、「そう、その通り!」と思わず唸ってしまうような言葉が、容赦なく出てくる。

現代人が忘れかけた、《人のありよう》や《生き方》にふれる、ほんとうに心が洗われ、元気が出てくるお話しの数々・・・

『親指のような人間になれ』

『渋柿の渋こそよけれ渋柿の味』

『人生に消しゴムはいらない』 ・・・

今度の講演でも、いろいろな角度からそんなお話しが聴けると思う。

また、話の途中、言葉での説明が不十分だと思うと、そばに置いてある筆でササッと裏紙に文字を書いて示して下さる。下にあるのは、「《経済》と《臨終》のほんとうの意味を知ってるか?」と訊かれた時のもの。

経済とは「経国在民」、すなわち、世の中を治め、人民の苦しみを救うことを意味し・・・

臨終とは、「弥陀が(我らの)臨終に必ず大衆とともに来迎しよう」と誓った。つまり、臨終の時には、(縁ある人々や先祖や)多くの聖者たちは拍手をもって褒め囲み、(阿弥陀仏である我も)その人の前に現れるだろう。

・・・なんてことを説いて下さる。

どうだろう、一度出会って、お話しをしてみたくはならないだろうか。

ちなみに、「コンビニ和尚」の異名を持つほど、朝早くから夜遅くまで相談が絶えないらしい。たぶん、これを書いている今(22時43分)も、誰かの電話相談を受ておられるに違いない・・・

住職には及ばないが、こちらもこの時間まで仕事が続いた。そろそろ終わって帰るとしよう。


果たして、我が「天命」は・・・

今日、50歳になった・・・

特にこれといったイベントがあるわけでもなく、22時を回ったというのに、いつも同様、職員室で仕事中。今日はみんな帰って、独りぼっち・・・

50歳のことを、<知命>と言うらしい。『論語』に「五十にして天命を知る」というのがある。そこからきているようだ。

ある本に、ワタミの社長・渡邉美樹氏が紹介されていた。氏は、1959年10月5日生まれ。ちょうど昨日が誕生日だったそうで、僕と1日違い。5~6年前から「五十で引退する」と宣言し、今年、社長を退任。

創業25年にして、売上げも1000億をオーバー。今後のビジネスモデルもでき、次なる25年の1兆円も見えた今、ワタミグループの活動以外で天命を果たすことに決めたという。

何の関係があるわけでもないが、僕も同じ50歳。教育に身を置くことで言えば、ある意味、自分自身も今が「人生の正念場」だといえなくもない。自分なりに今の仕事、めざす目標に向かって頑張っていくことが、何よりもの<天命>かもしれないと思う。

50歳からは天にいただいた命を楽しみ、天にいただいた命(言いつけ)を知る。

これまでいろんな方にお世話になり生きてきたことに感謝して、自分が人の世話や天からの使命を全うして生きていく。それが50歳。果たして、それにふさわしい自分であるかどうか・・・

今朝、ちょっぴり「そうかな」って思えるようなできごとがあった。うれしかった。見てくれている人、わかってくれている人はいるんだなぁ~と、ココロの響きを感じた。

なによりも教育者として、「生きる意味」を伝えていきたい。


何をもって「平均」とか「標準」というのか

朝6時39分に起き、7時12分から朝食。午後7時9分から夕食をとり、午後11時16分に寝る・・・。

今日の朝日新聞「be」(土曜版)の記事『@データ』によると、これが日本人の平均的な生活サイクルらしい。総務省が、全国約8万世帯に住む10歳以上の人に時間の使い方を聞いた、の社会生活基本調査(06年)から浮かんだという。

どこまで、自分にこの数字が当てはまるのか・・・

今日、土曜日は休み? それとも仕事? こんな質問一つにしても、昔であれば、ほとんどが半ドンもしくは休みと答えただろうが、いまやそれさえバラバラ。本校(中学)も土曜講座があり、教師・生徒ともに、いつもと同じ時間に学校に来ているし、我が家でも大学生の子ども含めて、全員が仕事やアルバイトで「出勤」している。

サービス業にとっては、土日こそ仕事のピークで、「休み」という概念はない。むしろ「今日は忙しいぞ、頑張らなくっちゃ!」だ。

ラジオ局で仕事をしていた時は、さらにこれがズレていて、朝4時起床。5時までに局入りし、ディレクター兼ミキサーとして、7時からの生放送に備えて情報収集、原稿や音楽の準備、DJさんへの指示・・・などを経て、本番に突入。

番組中もミキサー卓に座りながら、ゲストさんとの打ち合わせやメール、FAXのチェック、電話の応対(小さなラジオ局では全て1人の仕事だ)など、ドタバタだ。3時間の朝ワイド番組が終了すると、取材や営業、地域イベントの打ち合わせなど、それこそお昼を食べる暇もないくらい、相手の都合に合わせた時間の使い方をし、夕方の生放送に向けて、再び朝同様の作業が待っている。

その間、CMの録音や自動放送システムや送信所のメンテナンスなどもあり、帰宅時間は12時を回ることもしばしば。今の生活から、もうあと3時間朝が早いというサイクルで、土日も関係なくほぼ365日それが続く。

ラジオ局は「無音」(電波が止まる)になることが許されないので、停電になっても、機器が故障しても、すぐにバックアップができるよう、その監視だけでもけっこうなストレスになる。まあ、これはコミュニティの小さなラジオ局の話で、大手では分業体制になっているので、ここまでひどくはない。でも、昼夜逆転という生活を送っている人はたくさんいる。

24時間、それこそ休む間なく動いているところはたくさんある。当然、そこで働いている人は、一般的なリズムからはほど遠い生活を送っている。「土日=休み」っていう通念から、地域の行事など全部そこに集中するが、行きたくても行けない、出たくても出られない人も山ほどいる・・・。都会だけでなく、いわゆる田舎だって、今やそれが当たり前の現状だ。

生活サイクル、暮らし、学歴、仕事観、子供を産む産まない、同居別居、ファッション、人生観、・・・。人それぞれの生き方に「平均」や「標準」って考え方が、果たして当てはまるのだろうか。自分のココロ(信念)に照らして、それが妥当であれば、それが正しいと思えれば、それで満足だと思えれば、それこそが自分にとっての「標準」だろう。

隣の芝生に目を奪われぬよう、自信を持って自己を貫き、迷わず、惑わされずに生きていきたい。

あと3日で50歳を迎えるに当たって、そんなことを強く思う。