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英作文に挑戦 The title is “My House”

英作文の練習ということで、あるworkbookにあった、自分の家について3つのパラグラフで紹介する課題に挑戦!

paragraph 1:
Tell where it is and something about the its age. Describe its interior ( rooms, etc.) and say something about the area around the house ( is there a garden, pond, etc? )

paragraph 2:
Tell who you live with in the house. Add a few facts or comments about all or some of the people / pets in your house to make your description more interesting.

paragraph 3:
Do you like the house? Why / why not? What do you like best? What would you like to change about the house?

ふむふむ、なるほど・・・

では、さっそく書いていくことにしよう・・・

I live in a house in Minamimitsuya-cho. Minamimitsuya-cho is a suburb of Hikone, it’s a farming village. My house is a traditional Japanese style house. It was built in 1968, it’s about 42 years old. It’s a wooden, two-storied house and it has ceramic tile roofs. We have two Western-style living rooms. One is downstairs and the other is upstairs. And we have a zasiki, it’s a traditional Japanese-style room with fourteen tatami, partitioned with sliding doors named fusuma. This room faces the small garden. There is an alcove named tokonoma about one tatami mat size, and a family Buddhist altar named butsudan on the right side of the alcove. We have also four bedrooms, a dining room with kitchen, and a bathroom. My house’s garden is very small, but there is a detached house with a large garage next it. There is a big raccoon dog ornament made of Shigaraki pottery at the Entrance.

I live there with my wife, three children. We have a Labrador Retriever dog named Leon. He is clever. And we have a Scottish Fold cat. I don’t do much housework. That’s my wife’s job. But sometimes I wash the car, and I do gardening, etc. At the dinner table, we talk about the events of the day. Everyone in my family is cheerful, and laughter is heard all the time.

I like living in this house, and I like living in the country. It’s very peaceful, the air and water are clean. Our neighborhood is quiet and nice. It’s a good place to live and raise a family. But the country people are too conservative. Sometimes I want to move to the city. The city, especially big city, it has their good points. The social and cultural life is exciting. But the city has its bad points, too. It is very crowded, noisy, and expensive. I think that can go to the city when I need. Another thing I like this house is its location. My house is stands overlooking the Lake Biwa. We can have a good view of the lake from the upstairs windows. In the summer, we can go swimming in the lake on our bicycle. We love our house very much.

どやろ? こんな感じで・・・

でも、なんか日本語を強引に英訳しただけのようで、英語のもつ雰囲気っていうか、英文の流れみたいなものがないような気もするなぁ。

こりゃ、ちょっと・・・恥ずかしっ!


ちょっと懐かしい「コンピュータ手相占い」

昔懐かしい、カタカタ文字が並んだ一枚の紙切れが出てきた・・・

2002年2月15日(金)のハナシ。

とある街角でコンピュータ手相占いのブースを見つけ、面白そうだし、300円という値段に誘われ、試しにやってみた。

ガラス板の上に「手のひら」を置くとスキャンが始まり、手相が読み取られていく。つながれたコンピュータが、生命線・感情線・知能線・総合線を回帰分析し、たちまち現在の運勢がプリントアウトされて出てくるという代物。

結果は、こうだ・・・

フダンハ ヒカエメデ ソフトナ カンジデスガ、 ジブンガ イッタン ケツイシテ ナニカニ トリクミ ハジメルト テッテイテキニ サイゴマデ キチント ヤラナイト キノスマナイ タイプノ ヒトデス。

マタ ソノトキノ エネルギー ワ ゼツダイデ アル。 ジブンガ マチガイナイト オモッタコトデモ シュウイトノ オリアイガ ツカナイト ヒヅミヲ ショウジル コトモアル。

《アドバイス》

ツネニ ケイケクヲ タテテ コツコツト ケンジツニ アユンデ イマスガ、 スコシ アソビゴコロニ カケテイル。 モウスコシ ユトリヲ モチ、 シュミ ヤ スポーツヲ タシナミ シンシン ヲ リフレッシュ スレバ ヨリ イッソウノ シンポガ アル。

マタ イセイトノ コウサイ モ ヒツヨウ。

キンウン ハ ユダン シテ ロウヒ シナイ コト。 チャンス ワ 25・32・41・53.65・70サイ デス。

ケンコウ ワ シンケイヒロウ カラ オコル イ、チョウ ニ チュウイ。 ヤサイ ヲ ヨクトルコト。

アナタノ ジンセイノ チャンス ワ 23・29・36・42・51・59・68サイ デス。

当時と今の手相が変わっていなければ、来年あたり「ジンセイノ チャンス」となるか?!


袖振り合うも多生の縁

偶然にしては「でき過ぎ」のような、まるでTVドラマのような出来事って現実にあるものだ。これは今から10年ほど前、以前勤めていた女子高での話・・・

ある日、突然一人の耳の不自由な方が、職場に僕を訪ねてこられた。まるっきり見当もつかず「そんな人知らないんだけど・・・」と、ちょっと不思議な気持ちで玄関に行ってみると、何枚かのFAX用紙の束を持ったおじさんだった。

「この宛先に書いてある名前は、貴方ですか?」

その場で紙に鉛筆を走らせ、筆談で一生懸命に伝えてくださった。よく見ると、いつもAustraliaの姉妹校の先生から届いていたFAX用紙だった。

「どうして、これが貴方のところに届いたのですか?」

思わず声を出して聞こうとして気づいた。そうだ・・・、書かないと伝わらないんだ。すぐさま思い直し、紙にペンを走らせる。

「お宅のFAX番号は何番ですか? うちの家は○○○-□□57なんですが・・・」
「学校は、○○○-□□51ですけど・・・」

よく見ると、姉妹校の先生が本校への送信を頼もうとして書いた番号が、どう見ても「□□51」じゃなく、5と1がくっついて「□□57」に読める。どうやら、送信を頼まれた人が読み間違えて送信してしまったらしい。

FAXの内容は、本校への訪問日程変更を知らせるものだった。いくら番号が1つ違っただけとはいえ、別のところに届いていたら、それっきり・・・。こうやって手元に届くなんてことはなかったかもしれない。

知らないまま当日を迎えていたら、いったいどうなっていたことやら・・・。そう思うと、本当にありがたいことだと感謝せずにはいられなかった。

FAXが届いたのが親切な人のところ、おまけに近くに住んでおられる人だということが幸いして、大切な連絡が、こうやって僕の手元に届いた・・・。

なんだか、すごくあたたかいものがこみ上げてくるような感じがして、うれしくなった。人柄のいい、優しそうな、素朴なおじさんの笑顔が、とても印象的だった。

その後、FAXを受け取り、お礼を言って、お名前と住所を聞いて、その場は終わった。

でも、この出来事がいつまでも頭に残った・・・。偶然とはいえ、このことに何か運命のようなものを強く感じてならなかった。

帰り道、ちょっとしたお礼の品に手紙を添えて、そのおじさんの家を尋ねた。呼んでも返事がないので、そっと玄関の扉をひくと、スルスルと開いた。中を窺うと、すぐ奥の部屋に灯りがついていて、おばさんが縫い物をしている姿が目に入った。向こうもすぐに僕に気づき、なんだろうといった顔で玄関に出てこられた。おじさんの<奥さん>のようで、同じように耳が不自由だった。

話してもダメなので、お礼の手紙を見せながら、笑顔で感謝の気持ちを伝えた。読んだとたん、すぐにわかってもらえて、おばさんの表情がパッと明るくなった。「そんな・・・、お礼なんて・・・」と恐縮されたが、さらに気持ちを伝えようと、もう一枚、あらかじめ書いておいた手紙を見せた。

「今日の出会いは、きっと何かのご縁だろうと思います。どうかこれからも、一人の友人としてお付き合い願えませんか・・・」

残念ながら、おじさんは留守だったが、おばさんはその手紙を丁寧に受け取って下さった。「ウチの主人は、もう年寄りです。貴方みたいなお若い方と友だちなんて・・・」。確か、そんなことをいっておられたように思うが、家におじゃまさせてもらって、より一層、このおじさん、そしておばさんの心が伝わってくるような気がして、なんだかとても清々しく、あたたかな気持ちになった。

夜、8時半頃、持ち帰り仕事をしていたら、一通のFAXが届いた。おじさんからだった・・・。

『こんばんは! 本日は、初めてお会いしてFAXを渡しただけで・・・(中略)。お互いに助け合ってすることは一番よいことですので、迷惑をかけることはありません。当たり前のことです。それで仕事がスムーズに進められるとのこと、よかったですネ! 話は変わりますが、毎日、女の子の高校生と共に行動(勉強、運動、会話など)するわけですが、楽しい仕事だナ~と思えて、イイナ~と感じます。今後、お付き合いできれば・・・と嬉しく思います。』

最後の方は思わず笑ってしまったが、なんとも言えないあたたかな文面に、またまた今日の出来事がよみがえってきた。

なんだか、とてもいい出会いができた、ステキな一日だった。

その日の日記を、僕はこんな言葉で締めくくった。


アルコール分7%で、グッとくる飲みごたえ!

毎日帰るのが遅く、晩ご飯を食べるのがだいたい23時くらいから・・・。365日beerを欠かさない生活パターンなので、まずはグビッと一杯!

ちなみに、beerとは言っても「第三のビール」。財布と相談して、もっぱらこれだ。

で、2~3日前から飲み始めたのが、今年3月24日に発売された「アサヒ ストロングオフ」。甘ったるい、モヤっとしたいい加減さがなく、パンチのある味がいい!

アサヒと言えば「スーパードライ」。わりと長い間、こればかりだったのが、発泡酒が出て、第三のビールが出て、外での宴会やハレの日ぐらいしかホンモノのbeerを飲まなくなって、最近はもっぱら「第三のビール」。

銘柄は特に問わず・・・、ビールテイストでアルコールが入っていればいいって、まあそんな程度なので、特にこだわりがあるわけではない。「酔えればいいんでしょ」って、そんなことまで言われるくらい。

「ストロングオフ」の印象をひとことで言えば、スーパードライの流れをくんだ「スッキリ」感かな? 糖質60%オフが生み出した、スッキリとした味わいが特徴。そこに、アルコール分7%が加わり、グッとくる飲みごたえだ。

口当たりがいいので、ぐいぐいと飲める。でもそこは7%、タラーンと酔うのではなく、ガッツリ酔う感じ。

疲れをとるにはもってこい!ってことで、晩ご飯のお供に、今日もまた日が変わるくらいの時間まで飲んでしまった。

爆睡! そして、目覚めスッキリ! (今のところ、いいクスリになってるみたい?)


母の日に寄せて・・・

どちらかと言えば「石橋を叩いて渡る」ような性格だった僕に、「火中の栗を拾う」ような”強さ”を与えてくれた出来事がある。

母の入院・・・そして、あっけない別れ。

僕の教師としての”原点”でもある。

大学を出て、念願の教師として勤め出して半年あまりが経った10月末・・・。ようやく学校での仕事の内容がわかりかけてきた頃だった。

最初、母が倒れた時は、ちょうど稲の刈り取りが一段落した時期だったので、たぶんその過労だろうと家族の誰もが思っていた。普段からめったに病気などしない、元気な母だったから、すぐによくなるだろうと、そんなに深く気にも留めなかった。

それまで、家の中で、母というのは、いて当然の存在だったから、別にその意味など深く考えていなかったが、いざその存在が家の中からなくなると、なかなか面倒なことが多いものだ。食事の支度を始め、洗濯や掃除など、これまでは気にもしなかったことが(当然目につかないところで、それを母がやっていたわけだが)次から次へと襲いかかってくる。

そんな生活も半年・・・

入院生活にピリオドを打ち、昭和58年の春に他界した母。

葬儀の日、当時担任をしていたクラスの生徒の代表が遠方にもかかわらず参列してくれた。

その手には千羽鶴が…

4月に入学して、まだそんなに日も経っていないのに、担任の知らないところで鶴を折っていてくれたなんて。

「ごめんなさい、願いが通じなくて…」

そう言いながら渡してくれた時、それまでこらえていた涙が止めどなくあふれてきた。

今思うと、たくさんの人がいる前で男が泣くなんて恥ずかしいことだったが、その時ほど生徒の純粋さ、思っていてくれる気持ちのありがたさを感じたことはなかった。先生(担任)っていいもんだ、先生をやっていてよかった・・・。状況が状況だけに、そういった気持ちが必要以上に増幅されたのかもしれないが、先生という仕事の素晴らしさを感じさせられた出来事だった。

それと同時に、こっちも、生徒に対して一生懸命ぶつかっていかないと申し訳ない・・・ということを改めて感じ、深く心に刻んだのも事実だった。

先生になって2度目の新学期が始まったばかり。

二十数年前の、まだ初々しい頃のことである。

それ以後も、しばらく、父と妹、そして僕の3人の生活が続く。病院通いをしなくていいようになった分、気分的にはゆとりが持てたような気もするが、何かにつけて不便さを感じるのは相変わらずだった。家事についてもそうだし、妹にとっては家族の中で唯一の同姓(女性)がいなくなったわけだから、はるかに辛かったと思う。また、父にしても、かけがえのない人生の伴侶を失ったことは、心に大きな空白ができたに違いない。

そう考えると、僕が一番、気持ちの上ではゆとりがあったのかもしれない・・・。

周囲の人からは、「大変でしょう・・・」「がんばってね・・・」の励ましの声とともに、何かにつけて援助を受けた。でも、そう言われれば言われるほど、自分自身が強くなるというか、そんなこと言ってくれなくても大丈夫だから・・・という気持ちが起こってきた。

もう普通でいい、いつまでも(母が死んだことを)特別なことだといって引きずりたくない・・・。そんな気持ちがあったのかもしれない。

当時のこと・・・。

今となっては、すでに過去のものとして余裕をもって語れるが、これも“母のおかげ”かもしれないと思う時がある。

自分がここまで強くなれたのも、死という別れを通して母が僕に教えてくれた最大の教育であったという気がする。親離れというにはあまりにも突然で、辛いことだったが、それだからこそ親の思いを心に刻むことができたし、親への依存心をいい形で払拭することができた。

もし、今も母が生きていたとしたら、僕自身、もっと甘い人間になっていただろうと思う。

そういう意味では、母がこういう形で去っていったことが、かえって僕を一回り大きな人間に成長させてくれたことはまちがいない。


ランニングとビールの相関関係

ゴールデンウィーク中、それなりに仕事があって、完全にオフとはいかなかったが、ランニングに行く時間だけは確保できた。重かったカラダも毎日走るとそれなりに順応してくるようで、日増しに軽くなっていくのが実感でき、「こりゃあ毎日走らんといかんなぁ〜」と反省するばかり。

気持ちよく汗をかいた後は、すっきりシャワーを浴びて気分爽快。当然、ノドを潤そうということになり、手はビールにのびていく。

「うまいんだなぁ〜、これが!」

いつだったか、あるレースで出会ったランナーさんが、「わしゃ、走った後のビールが飲みたくてランニングを始めたんや」と言っていたのを思い出す。「それが、いつの間にかビールより、レースに出たあとの爽快感の方が大きくなってきて、そうなりゃ病みつきよ・・・」と大笑いしながらも、手にはしっかり缶ビールが握りしめられていた。

確かに、ビールを飲むために走っているわけではない。でも、走る動機の一つに、おいしいビールを飲みたいっていうのもあっていいんじゃないかと思う。それじゃ本末転倒、健康にいいのかなぁ〜?という外野の声はこの際、シャットアウト。気持ちいいことは、カラダにイイに決まってる。

肉体的にどうのこうのという前に、精神的なストレスが問題だろう。毎日の仕事で、何が一番ツライかって、それは肉体的な疲れではなく、精神的な疲れだ。だから、何よりもココロを休めてあげないことには、疲れはなくならない。

肉体的な疲れは、それこそ休息すれば回復するし、ある程度の睡眠時間と食事が確保できれば、誰だってある程度は元気になれる。それに対して、精神的な疲れは、ただ単に休んだからといって回復するものではない。

ココロにチクリチクリと刺さった針の痛みを和らげるのは、ココロへの労りの気持ち、すなわちココロの解放だ。そのためには、何よりもココロが「気持ちイイ〜!」って叫ぶような刺激が必要になる。

そう考えると、ランニングとビールって、ものすごくベストマッチングなんじゃないかと思える。どちらも単発でリラックス効果がある上に、両者が相まって一連の流れに乗ると、その相乗効果で何倍もの「気持ちイイ」が体験できる。

加えて、これからどんどん気温が上がってくると、その効果もうなぎ登り・・・。とまあ、勝手な理屈を並べ立てて、今日もまたビール三昧!

もちろん、しっかりランニングをやった後だから、ねっ!

とはいえ、明日からまたハードな仕事が待ってるよ。くれぐれも充電し過ぎないように気をつけて・・・っと。


アタマもすっきり、夏仕様!

日曜日、仕事を早めに片付けて、午後3時半過ぎからランニングに出かけた。ずいぶん久しぶり〜って感じで、カラダが重くて仕方がなかったが、とりあえずひと汗かいて大満足。

シャワーを浴び、そのままBeerタイムに突入しようか・・・と思ったが、そうだ「散髪」だ! 4月以降、行こう行こうと思いながら、なかなか時間が取れず、行けなかった。

というわけで、いつものヘアーサロン・タナカさんへ。

生まれてこの方、ずっと行っている理髪店で、今は先々代から数えて3人目の息子さんに刈ってもらっている。

「どうしときましょう?」

「いつもどおりでいいかな・・・」

「夏も近いし、短めにしときますか?」

「そやねっ。じゃぁ、おまかせで!」

・・・とまあ、毎度交わすようなオーダーのあと、手際のいいハサミ裁きにで気持ちよくなり、ちょいウトウトしていたら、あっという間に終了〜。

こんな感じに、ナ・リ・マ・シ・タ!

白いものが目立ち、しだいに薄くなってきたので、ちょっと長めにしておく方がいいのかもしれないが、元来、長いのは好きじゃない(もっとも、大学時代は肩の辺りまで伸ばしていたが)ので、ついつい短くなってしまう。

まあ、これで当分は散髪に行かなくてもいいので、一石二鳥やん。

できたてホヤホヤの「夏仕様ヘアー」を公開デス!


車5台、ようやく春仕様へとチェンジ

日曜日、なんだか荒れ模様の天気ではあったけど、朝からスタッドレスタイヤからノーマルタイヤへの交換作業を始めた。ついでにお願いね〜という声に「はいよ!」って適当に返事をしていたら、結局、家族の車全部を交換することになってしまった。普通車3台、軽自動車2台のあわせて5台。

晴れ間を見つけ、外したタイヤを洗って乾かし・・・ちょうどお昼になったところで、なんとか終わった。ふぅ〜、疲れた。

午後、用事があって出かけ、夕方からは隣組の懇親会。町内百数軒が10の隣組に分かれていて、我が家周辺の13軒が第7組。持ち回りで、組長と会計兼体育文教委員をすることになっていて、その譲りも併せて、例年この時期に懇親会を行っている。

近所の料理屋さんにバスで迎えに来てもらい、各戸から2名(夫婦)が参加。近くに住んでいても、ふだんなかなかゆっくり会話すること少なく、お互いの家のことや仕事のことなど、さまざまな情報交換ができる貴重なひととき。お酒を酌み交わしつつ、年齢の違う夫婦が話をするのはなかなか楽しい。

核家族化が進み、田舎といえどもお隣さん同士の付き合いが少なくなりつつある中、こういった伝統が残っているのは、とてもいいことだと思う。


孤独なSunday? たまには主夫もいいかっ!

日曜日・・・たいてい自分が仕事でいないにもかかわらず、自分がいるのに家族がいないと妙に寂しくなるのって、なんだ??

っていうか、炊事・洗濯など家事一切を独りでやらなくちゃならないから、文句の一つも言いたいのに、聞いてくれる相手がいないってことなんだな。唯一、いやな顔ひとつせずかまってくれたのは愛猫さん。ウチにやってきて2ヶ月以上経つのに、実は、まだ名前がない・・・。

そんなことはさておき、まあ、たまには家にいて、これくらいの家事を分担するくらい何だってんだ。2回洗濯機をまわし、干すくらいでギャーギャー言うな。自分の食べるご飯の支度くらい、自分でしろって・・・。

取りかかるまではかなり億劫で、やりたくない度120%だったのに、今日のような雲一つない青空の下、洗濯して干すってすごくいい気分! なんか人間的っていうか(大げさ)、とってもいいことしてるような気分になる。お天道様に褒められでもしているかのような清々しさやん!

誠に勝手なもので、こうなると調子に乗ってリビングの掃除もしようかってことになる。ご飯を食べた食器もさっさと洗うわ、ノリノリだ。

本来なら、お寺の記念誌の編集作業をある程度のところまでやる予定だったのに、この天気のせいだ!部屋の中でシコシコ画面に向かっていられるかい!って、気が散って仕方がない。Twitterでぼやくも、所詮バーチャルな世界。

えいっ、こうなりゃ編集作業はおあずけじゃい。走りに行こう、ランニングだ!

最近は週一ペースがやっとで、なかなか継続して走れない状況を取り戻すべく(・・・って言っても無理な話なんだけど)、湖周道路をLSD。いい汗かいて大満足!

愛犬レオン号の散歩を済ませ、夕方、ちょっと早い時間からBeer三昧。さすがにそのまま寝るわけにはいかず、いまこうやってiMacに向かってる。この後もう少し、編集作業をやろうかなって・・・。

念願かなって、この冬手に入れたiMac27。巷で言われているような不具合も今のところは見られず、お隣のWinマシン19インチ画面の文字がやたら大きく感じて、すっかりiMacびいき。嫌な仕事もiMacだと、すぐに取りかかれるもんね。

・・・なんだかくだらないことをつらつらと書いてしまった。ここ数日のBlogとはまるで違うノリ。今日一日の過ごし方のせいだな、きっと。

まあ、気分転換になってよかった。とはいえ、学校は相変わらず忙しい。やること山積。こんな悠長なこと言ってられないのが本当のところ。明日からまた、いろんな意味での闘いが目の前に迫っている。頑張っていこう!


WEB公開による「自分探し」が人生の転機?

Twitterを始めるようになって、今まで知らなかった方々との交流が少しずつ生まれてきた。WEB→Blog→Twitterと、そのダイナミックさが拡大するにつれて、僕自身の考え方もどんどんオープンかつ直感的で、自分に正直になってきているなってきている。

そんなことを考えていて、無性に自分を振り返ってみたくなり、自身の拙いWEBサイト『Chit-chat!』の紹介ページ「ようこそ My HomePageへ」を開いた。

このたびは、当ホームページにお立ち寄りいただき、ありがとうございます・・・で始まる一文は、なぜこのホームページを開設するに至ったか、そのTurning pointとなった心の動きのようなものをダイジェストで記している。

☆このホームページは、私が今、前向きに取り組んでいる”3つ”のことを中心に、いろいろなことを皆さんと語り合えたらいいなあ・・・と思って作り始め、2000年3月29日にオープンしました。

☆”3つ”のこととは、「育てる」「 鍛える」「 交わる」。これらは3年ほど前、やがて40歳を迎える自分のことを思い、ふと考えついた、今後の自分に課した「人生の宿題」のようなものです。

☆どうしてそんなことを考えたのか・・・。たぶんはっきりとした理由なんてなかったと思います。ただ、「このままではいけない」、「もっと大きな自分にならなくちゃ」と、自分を駆り立てる何かに突き動かされるように、気がついたときにはそれに取りかかっていました。

☆その頃、「フォーティーズ・クライシス」(40歳の危機)という言葉を、よく耳にしました。もしかしたら、そんなことを考えたのは、フォーティーズ・・・の不安から逃れるために私自身の心が発した、潜在的な自己防衛本能だったのかもしれません。

最初は、100%自己満足のような、今にして思えば「何書いてるねん」と恥ずかしくなるような内容だったが、自分自身の行動や思いを外部に公開することで、少なくとも思考の方向性が「外向き」になったことは間違いない。

☆HP開設後、1年あまり経過した、昨年(2001年)の2月末・・・。ネットを通じて地元・滋賀県彦根市に「コミュニティエフエム」を開局しようという話が飛び込んできて、その準備に関わるようになり、仕事の合間を見つけてはしだいに没頭していきました。

☆以来1年半が経過し、ついに「エフエムひこねコミュニティ放送株式会社」設立。放送免許を取得して、9月29日(日)に正式開局しました。”取締役局長”として、仕事がスタート!トラバーユなんていうほど、決して順調なものではなく、まだまだ試行錯誤、どうなるか不安いっぱいの新たな船出・・・挑戦でした。

☆その後、2年あまりが経過した2004年4月末、突然、エフエムひこねを去ることになりました。理由は・・・、書き上げればキリがありませんが、とにかくこのままでは自分に嘘をつくことになる・・・と。

それまで勤めていた私立高校を辞め、飛び込んだ世界だった。決して多いとは言えない退職金を会社設立の資金としてつぎ込み、純粋に「やりたい」という半ば勢いだけで突き進んでいた感じだった。

その認識は甘く、当然無理が生じる。24時間365日勤務のような激務でありながら、収入は少ない。人間関係も複雑で、他人より少しでも前に出て、自分を認めてもらわなければ仕事がこない業界に、今まで経験したことのない不信感恐も覚えた。

とはいえ、その世界にあってはそれは至極当然のことであり、受け入れられない人間は生きていけない。より深く人を見てつきあっていくなかで、「人間の信用」とは何か、大げさに言えば「生きる」とはどういうことかということまで考えた。

家族があり、子どもがいて、介護が必要な父がいる中で、自分だけがこんなことをしていていいのか・・・。やりたかったことはこんなことではなかったはずだ・・・。そんなことばかりを考える自分がそこにいた。

☆それからは、パソコン関連のさまざまな業務を請負でやりながら、次なる人生設計を考えていたところ、滋賀県東近江市に「コミュニティエフエム」局を立ち上げてくれないかという依頼があり、引き受けることにしました。

また同じ世界に戻るのか・・・。そんな不安がなかったわけではないが、それ以上に中途半端でやり残したことを、もう一度原点からやり直したいという思いの方が強く、再びラジオの世界に足を踏み入れた。

☆2004年の夏頃から少しずつ動き始め、母体となる会社に、正式にFM事業部を立ち上げたのが2005年4月。2005年8月1日、FMひがしおうみ(Radio Sweet)開局。事業部長として運営全般に関わり、営業はもちろん、番組のディレクターやDJも担当しました。

☆2006年1月、自分の番組に出演していただいたことがきっかけで、ある私立中高の先生と知り合いになり、もう一度、教壇に立ってみないかと誘われました。2006年4月、その誘いが現実になり、ラジオ局から学校へトラバーユ。ほんとうによくわからない人生だと、自分のことながらあきれてしまいます。

☆2007年、2度目の教員生活2年目を迎えました。収入の面を考えると、以前の学校→パソコン業務請負→ラジオ局→今の学校・・・とだんだん悪くなっていっているのが現実ですが、お金に代えられないものがあるのも確かです。

☆今年は今の職場(学校)で、何か形に残ることをしたいと思っています。それをこのホームページで、皆さんにもお伝えしていきます。(2007/05/01)

教壇に戻り2年目を迎えた春、ここまで書いて自己紹介めいた話は終わっている。ちょうど中高一貫コース高1のクラス担任をしはじめた時だ。47歳で久しぶりのクラス担任。まるで新任のようなワクワク・ドキドキ感があった。

その後、学年が高2に上がると同時に学年主任(2008年度)。3年に進み、いざ最終学年を締めくくるのかと思えば、中高一貫コースの再構築に中学部へ異動。教務主任として中学全体を眺める立場になった(今年・2009年度)。

と同時に改革プロジェクトが立ち上がり、そのリーダ役を引き受け、現在に至っている。このあたり、最近のことはBlogを読んでもらえればよくわかるだろう。

とにかく目まぐるしく、担当分掌というか、仕事が変化している。教育現場ということで基本的には狭い世界だが、一度外の世界で大きく羽ばたきすぎた僕にとっては、狭い世界に我慢できなくて、思考や行動がどうしても広くなりがちだ。

でも、それでいいと思っている。この閉塞感漂う学校現場において、少なくとも前向きに元気で、幅広いものの考え方をしないとつらくて仕方がない。

世の中は世界規模でダイナミックに動いている。インターネットの世界に至っては、距離や時間に関係なく双方向のコミュニケーションが可能で、あらゆる仕組みが大きく変わりつつある。

そんな中で、考え方だけが旧態然としていてうまくいくはずがない。教育現場とてそれは同じことだ。むしろその先端を行くくらいの心がけが必要だろう。だって、次代を担う子どもたちを育てているのだから・・・。

こんな思いを持たせてくれた人生の転機。いくつか大きな山はあるが、きっかけはWEB公開だったことを改めて思った、今日の夜だった。