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今より少しだけ・・・

今より少しだけ、
 みんなの笑顔がふえるように。

今より少しだけ、
 みんなが勉強を好きになってくれるように。

今より少しだけ、
 みんながココロを広く持ってくれるように。

今より少しだけ、
 みんなが元気になってくれるように。

今より少しだけ、
 みんなが弱音を吐いてくれるように。

今より少しだけ、
 みんなが明るい明日を語ってくれるように。

今より少しだけ、
 みんながホンネでぶつかってくれるように。

今より少しだけ、
 みんなの「ありがとう」が飛び交うように。

今より少しだけ、
 みんなが「ゴメンナサイ」を言い合えるように。

今より少しだけ、
 みんなのまなざしが強くなるように。

今より少しだけ、
 みんなの背筋が伸びるように。

今より少しだけ、
 みんなが仲間を意識してくれるように。

今より少しだけ、
 みんなが「いま」を大切にしてくれるように。

今より少しだけ、
 みんなが「ここ」を愛してくれるように。

先生も

生徒も

保護者も

今よりし少しだけ、
 みんなが「チカラ」をあわせていけるような・・・

そんな学校にしていきたい。


今日は併願者手続き日

今日は県立高校の合格発表日・・・
我々、私立高校の立場から言えば、併願入学者の手続き日だ。

ただ、今回の入試で定員に満たなかった県立高校が二次選抜を行うため、最終的にどこに進学するか、現段階で決まらない受験生もいる。

今日の発表で、残念な結果に終わったからといって、何も諦める必要はない。

これがご縁で私立高校に進むことになったことが、結果的に自分を高め、将来への足がかりを生むことだってある。

親子で話し合いをし、将来を決めていく・・・

もちろん15歳の中学3年生には大変なことだろうが、この経験は、確実にこれからに活きてくる。

手続きの案内をさせてもらっている中で、いろいろな表情に出会った。

どんな声をかけようか・・・

正直、笑顔でコトバを発するにはつらい場面もあった反面、新たな目標を定め、スッキリとした表情を見せてくれる受験生もいた。

そんな中で、私たちが学ばせてもらったこともたくさんあった。

ステキなご縁をいただけた、お子さん思いのお母さん。
家族会議をしましたといって来てくださったお父さん。

今日のご縁を無駄にせず、未来に向かって誠心誠意、お子さんを育てるために努力させていただきます。

どうぞご安心ください。


何を恐れるのか・・・

そろそろ硬直化した思考回路から脱してくれないか・・・

既成の枠組みは、それが維持可能な状態の中で最善解を導き出せるように作られてきたものだ。

世の流れが、自然環境をも含めて大きな変革期に入った今、従来と同じような状態で物事を進めていけないことは誰が見ても明らかなことであり、望んでも無理なことをみんな感じ始めている。

にもかかわらず、判断の拠り所は相変わらず既成の概念であり、経験則なのはなぜだろう。

何が正しいか、どの選択肢を選ぶべきか、そんなこと誰がわかるっていうの?

結局は自分自身の納得であり、拠るべきは自分の生き方じゃないの。

こうあるべきは、周囲が決めることではない。

自分が周囲に対して働きかけ、周囲を巻き込み、周囲を納得させる方向に導くことがすべてであり、それこそが進むべき道だ。

だから、敢えて安全策は求めないし、平穏無事な結果を良しとは思わない。

今は、先が見える安定期ではないのだ。

周囲がいかなる変化をしようとも、柔軟に受け止め、臨機応変かつ力強く対応し、力を合わせて乗り越えていく・・・。

そんな前向きさが、未来への希望であり、生きる証だ。


滋賀も「私学」が教育をリードせよ!

人口増減率が全国第3位で、社会増加・自然増加とも前年度比プラス。また、人口に占める子どもの割合が14.9%と、全国第2位の滋賀県(第1位は沖縄県で17.7%、全国平均13.1%)。

この数字を見ただけで、滋賀県において新しい時代に対応した教育環境の整備が急務であることは明らかだ。

ところが、その穏やかで控えめな県民性が変革を拒むのか、どうも旧態然とした「前年踏襲型」が幅を利かし、私学を取り巻く教育行政ひとつとっても、(良い悪いは別にして)近隣他府県のような大胆な改革議論すら出てこない。

高校現場において圧倒的に「公立」優先型の滋賀県では、その数のみならず意識の上においても「私立」の立場は弱い。行政側の論調も「私立は自分たちで生徒を確保し、経営していくべきだ」との意見が大勢を占め、同じ「教育の場」でありながら、入試や財政支出について、明らかに公立中心で進んでいるように思う。

昔のように、ある意味「先が見える」時代であれば、規模の大きい、安定した組織がチカラを発揮しただろうが、今や「明日をも知れない」時代である。何が起こってもおかしくないし、前日まで隆盛を誇っていた大企業が一夜にして倒産することだってあり得る。また、地球規模での環境変化に対応しつつ、科学技術の進歩に利便さを求めるだけでなく、いかに自然と共存していくかを考えることの方が重要なことは言うまでもない。

そんな中、「かつて聖域と言われた時代を引きずるかのような、おらが組織を守らんがための考え方」が行政や教育現場に残っているとすれば、それは大きなマイナスであり、邪魔でしかない。

大きな組織だと動かすのも大変だ。意志決定にも時間がかかる。もちろん機敏な対応には自ずと限界が出る。それならばコンパクトな組織で、もっと柔軟に物事を進めていった方がいいに決まっている。

少し前に再編計画が発表された県立高校だが、その決定までの紆余曲折や、近隣他府県への進学動向、入試制度等々を考えても、県内全県一区の枠組みの中で、県立だけを視野に入れて「滋賀県の高校教育」を論じるのは、もはや時代遅れも甚だしい。

その限界は、子どもを持つ保護者がすでに感じ取っているし、変わらなかったがために被害を被るのは子どもたちだ。

私立は県立を補完するものではないし、双方が魅力を磨きあうからこそ教育の充実発展がある。もちろん、滋賀県単独で済む話ではなく、近隣府県との良い意味での競争も必要だ。

そのあたりを十分含んだ上で、明日の滋賀県の教育を切り拓いていくべきだろう。


ステキな学校!

今日訪問した中学校。午後5時前、車で校門前に着くと校門が閉まっていました。周辺では部活動で走り込みをする生徒がいて、放課後なのに閉まってるって珍しいなぁ〜と思いながら、開けるため車を降りようとしたところ、一人の女生徒が笑顔で校門を開け、「どうぞ」と言ってくれました。

ごく自然な流れで、さも当然のようにさりげなくそうしてくれた彼女。周りにいた生徒も、来客をもてなす・・・というと何か特別なことのように聞こえるかもしれませんが、ふだんどおりの雰囲気のなかに「自分の中学校にゲストを迎える」気持ちが表れているようで、清々しい気持ちになりました。

車を停め、校舎に入ってからも、その空気は続きました。出会った先生に、約束してある先生の名を告げ、お手洗いの場所を聞くと、とても丁寧な言葉遣いで案内してくださり、まるでどこかのお店やホテルに来たような、もてなしのココロみたいなものを、決して特別そうしているわけではない自然なカタチで感じました。

さらに、職員室前で偶然、外に出ておられて帰ってこられたばかりの校長先生に出会い、訪問の挨拶をしたところ、すぐさま職員室の奥へ入っていかれ、会う約束をしていた先生と一緒に出てきてくださり、そのまま校長室へ案内してくださいました。

なんと、お客さんへの対応が行き届いているなぁと感心するばかり・・・。ふだんの生徒や保護者への心がけすべてがこうなんだろうなぁ〜と思いました。

具体的な話をしているときもそうでした。とにかく何事にも真剣というか、誠実というか・・・、こうやって訪問してもらっている時間を無駄にしない対応をしようという姿勢がこちらにも伝わってくるような、真摯な態度に、「真の教育者」を見たような気がしました。

一事が万事、校門での出来事からすべてに共通して流れている学校の雰囲気が、とても素晴らしかったです。こんなところで学んでいる子どもたちはシアワセだなぁと思います。

巷では、世間の常識が通用しないと苦言を呈されている学校現場ですが、この中学校にあっては全くそれがあてはまらない、むしろ180度逆の印象を感じさせてくれるホンモノの魅力がありました。

ちなみに、この中学校は大阪の北部にあります。滋賀県とはまた違った環境に置かれているのかもしれませんが、ややもすればその特殊さ?ゆえに、高圧的になり、甘え、横柄になりがちな学校現場への警鐘を見るような気がしました。

良い経験をさせてもらいました。この学びを活かさなくては・・・と思います。


なにが危機管理か・・・

大津から湖周道路を横殴りの風雨を受けながら帰ってきて、1時間あまりが経過した頃のこと。ちょっと早いけど、お昼ご飯を満足に食べられなかったので、そろそろ夜ご飯にしようかと考えていた18時前、久しぶりに停電がありました。

ろうそくを出してきて、点けようとしたところで復旧したので事なきを得ましたが、台風の影響でしょうね。

さて、今日の午後に行われた塾主催の進学説明会。家を出る前の11時頃、県内全域に暴雨数警報が出ました。もしかしたら説明会も中止?って思い、連絡を待ちましたが、何の知らせもないのでこちらから電話しました。そしたら、予定どおり実施しますとのこと。準備していたからいいようなものの、こちらから電話で確認してそれがわかるなんて、ちょっとお粗末じゃありませんか?

連絡がなければ予定どおり実施されると考えるのが当然ですが、台風が来そうだとわかった昨日の時点で、それなりの対応(どうするかの連絡)

くらいほしかったのがホンネのところです。

危機管理というと、とてもたいそうなことのように思え、たかが台風の警報ぐらい・・・と、その時の天候を見て考えがちですが、説明会に参加する塾生、その保護者、説明に参加する高校の先生方など、すべての関係者に対してどこまで気を遣っているかということも、危機管理そのものです。

簡単に中止できない事情があったことは十分理解できますが、ならばなおさら、警報発令中に実施していることを十分踏まえたうえで対応してほしかったと、正直思いました。

実際、電車で参加していた方々は、帰りにJRが運休していたので、たぶん困られたことだろうと思います。

通常の授業日なら、警報が出たら休校にするとホームページで謳っている塾です。特別なイベントだから実施するのであれば、あらゆるところにアンテナを張って、必要以上に注意を払って然るべきでしょう。

具体的に感じたことはいろいろありますが、敢えて言いません。塾関係者(塾生や保護者)だけに目が向いているのかな・・・というのが、私の率直な感想です。

会場入りしてまず最初に、イベントの協力者である学校関係者に「こんな天候の中、お越しくださって申し訳ないです・・・」のひと言ぐらいあっても良かったかな・・・と思います。


記憶に残るということ

彦根球場へ高校野球秋季大会の応援に行った帰り、某書店に立ち寄って本を買い、レジへ行ったときのこと。担当の女性が私に声をかけてきました。

女性: ポイントカーはお持ちですか?
私 : いえ、持ってませんが

(しばし間を置いて・・・)

女性: 滋賀学園の先生ですか?
私 : はっ・・・はい、そうですが
女性: △△部でお世話になっております、※※です

私 : はぁ~(と笑顔を返す)
女性: 説明会のとき、お話をされてたんで、覚えてます
私 : えっ・・・会計を済ませるまでの、ほんの数秒の会話で、最後に「ありがとうございます」と言ったか、「どうぞよろしくお願いします」と言ったか、たぶん両方言ってレジを離れたように思うのですが、ビックリしつつも、なんとなくホッコリした気分になりました。それにしても、よく覚えていてくださっています。そんなに印象深い顔でもないし、声に特徴があるわけでもないと思うのですが、驚きです。

入学されてから、特にその学年や部活に関係することを、保護者と一緒にやらせてもらったわけでもないので、本当に説明会での印象だけなんでしょう。(もしかしたら、説明会で個別にお話をさせてもらっているかもわかりませんが・・・)すごいですね。

ほんのわずかの出会いであっても、相手の記憶にしっかり残ることは、とてもありがたいことです。こちらが一方的に、良い印象をたくさん残したいと思っても、それは相手の気持ち、受け止め方しだいですから・・・。

何事も誠実に、相手の立場に立って、その時々を大事にしていかなければならないと、改めて思った出来事でした。

 


「ことば」の大切さ

青空が爽やかに晴れ渡った今日、午後はウォーターステーション琵琶へ行ってきました。河川レンジャー制度運営委員会が開かれ、自身のレンジャー活動中間報告と委員会の傍聴、その後の意見交換会・・・と盛りだくさんの内容をこなし、先ほど職場に戻ってきたところです。

運営委員や琵琶湖河川事務所の方々、レンジャー活動支援室のスタッフなどなど、立場やバックボーンの異なる皆さんとお話させていただく中で、いろいろな気づきがありました。

直接活動に関わることはもちろんですが、なかでも今日は、特に「ことば」というものに対して、その重要さを改めて感じさせられました。何かがあったわけではありませんが、発表や議論を通して、何度も「ことば」(言い方や表現も含めて)・・・がココロに引っかかりました。

結論から言えば、話しことば、書きことば、そのいずれにしても、使うときの配慮(使い方、使う意味・・・)が大切であり、ふだんから「ことばをもっと意識して」使わないとダメだなぁということです。

帰りの車の中で、運転しながらずっと「ことば」について考えていました。

何気なく言ったひと言・・・

その真意が相手にキチンと伝わらないばかりか、誤解されることもよくある話。時間が十分にあって、後で議論し「あぁ、そういうことだったのか」と納得できればいいですが、多くの場合そのままになってしまっています。

報告書や手紙、メモなどで、あまり気を留めずに使った単語・・・

書き物に慣れている方、仕事上たくさんの報告書を書かざるを得ない方、行政関係の方々なら、どんな言い回しが適切か、逆に使ってはいけない表現だとか、そういうことの訓練をある程度してきておられます。でも、ふだんの生活の中では、さほど気にせず、その場の思いつきで書いたりしています。

使った「ことば」がどういう意味を持って相手に伝わっていくか。時代の流れで、「ことば」のもつ重みが薄れ、簡略化、省略化され、テキトーに使っても何の違和感もなく、むしろその方がイケテルみたいな感覚は、どう考えてもおかしいことです。

「ことば」を正しく、丁寧に使わないから、意思疎通が十分に図れず、人間関係が希薄になり、表面やその時の気分で相手を判断し、深くつながれず、信じられないと愚痴を言い、気の合う者だけの戯言で気を紛らわせ、そのくせ自分をわかってほしいと常に甘え・・

いまの社会で起こっているさまざまな問題の根底に、コミュニケーションの道具である「ことば」を、我々自身が「軽視している」ことに気づく必要があると思います。

「言霊」というとちょっと違うかもしれませんが、それほどまでに影響力をもっている「ことば」。その意味や使い方、使う場面など、過去から受け継がれている文化的な側面も踏まえつつ、もっと大切に、生活を豊かなものに彩る素材として、正しく、丁寧に、しっかりと意識して使っていきたいと思います。

加えて、教育現場にいる人たちは、なおさらそのことをしっかりと心に留めておく必要があると思います。


基本、頼まれごとは断らない!

今日の午後、湖東中学校の先生方の校内研究会に行かせていただきました。縁あって、講師をお願いしたいとの依頼があり、行くことになったものです。

最初は気が進まないというか、自分は適任ではない・・・という思いが大きく、お断りするつもりでした。でも、ご紹介いただいた先生の顔をつぶすことになれば、それこそ本末転倒。気がついたら引き受けていました。

もちろん、行くことが嫌だという気持ちは全くなく、行けるものなら行きたかったのがホンネです。ただ、自分自身が講師として相応しいのか、先生方に意味あるアドバイスができるのか・・・ってことを思うと、即座に「ハイ」と言えなかったのです。

しかし、よくよく考えてみると、どうも、ボクは「頼まれごとは断らない」いや「断れない」性格のようです。仕事に限らず、地域のこと(自治会)やボランティア、お寺さんの役割・・・など、これまですべて引き受けてきました。

公私ともに処理できないほど引き受けてしまい、最終的には自分の時間を犠牲にしてまでやらざるを得なくなったり、そういう姿を見た身内から「あんたはいつもそうや、いいかげんに学習したらどう?」って呆れられるほど始末に悪い性分です。

でも引き受けてしまう・・・

なぜか?って、いつも思います。

考えてみるに、人が困った顔をしたり、悲しんだり、ツライ目に遭ったりするのが嫌なんです。だから、自分が「OK」っていうことで相手が満足してくれるなら、そうしよう・・・って考えてしまうんです。

ところが、引き受けてからいつも後悔します。

自信がない
期待されるような仕事ができない
私でいいのだろうか

考えれば心配事はつきません。

ばかですね。今さらそんなこと言ったって後戻りはできないわけで、最終的に「まな板」の上にのせられ、その日を迎えてしまいます。

開き直りではありませんが、そうなってくると肝が据わり、「なるようになれ!」って気持ちになります。しょせん着飾ったところで、すぐに化けの皮は剥がれてしまう。それなら、素の自分で勝負しようじゃないか・・・と。

そうして望むと、程度の差こそあれ、基本・・・結果がついてくるんです。

正直になれば、受け入れてもらえる。

世の中、そんなものです。

そういう経験が積み重なると、妙な自信というか、恥ずかしさが裏に隠れ、何事も勉強させてもらうチャンスだ思って、やりたくなってきます。

つくづく、おめでたい人間だと思います。

ん?

こんなボクに出会ってみたい・・・

そんな方がいらっしゃったら、いつでも連絡してください。

ボク自身の勉強だと思って、そのお話・・・すべて引き受けます〜っ!!


物事の見方・捉え方は、ひとつじゃない!

滋賀県のイメージは?・・・と聞かれて、みなさんは何を思い浮かべますか?

僕が真っ先に思い浮かべるものは「琵琶湖」です。京阪神に住んでいる人の多くは「マザーレイク」という言葉に、近畿の水がめとしての琵琶湖のイメージを重ね、滋賀県のシンボルとして位置付けています。

ところが関東の人たちに言わせると、いつも琵琶湖が出てくる滋賀県の観光ポスターやイメージ広告にはどうも違和感があるらしいのです。美しい湖といえば「富士五湖」とか「十和田湖」を思い浮かべ、琵琶湖は単に一番大きいという印象しかないそうです。

また、TVの何とかサスペンスみたいな番組で、琵琶湖岸で事件が起こって捜査が行われるとき、決まって登場するのが京都府警だったりすると、琵琶湖って京都にあるんだってねぇ~・・・なんてことにもなりかねません。

一方で「近江」という言葉からくるブランドイメージは高く、関西では「おじいちゃん、おばあちゃんの田舎」というイメージなのに対し、関東では「歴史がある土地で、豊かな文化財に恵まれたところ」、「近江商人」、「近江牛」・・・という見方になるといいます。

確かに、その土地で生活している人が描くイメージと、実際にほとんど目にしたことがない人が限られた情報から想像(?)するイメージとでは大きな違いがあります。

有名な観光地だって遊びに来た人が行き交う華やかな表通りの一歩裏には、そこで日々生活を営む人たちの暮らしがあるわけで、同じ景色をハレ(遊び)の目でとらえるか日常の目でとらえるかによって、印象は180度変わってきます。

しかし、そのいずれもが街の姿であることに変わりはなく、どちらがいい・悪いは別にして、いろいろな角度から幅広く受けとめてこそ初めてその街が理解できるということは間違いありません。

私事になりますが・・・教育の現場だって同じことだと思います。

毎日、子どもたちに接していて、いったいどれだけのことがわかっているのか・・・。限られた情報のみで判断してしまうことなく、一歩引いた広い視点で捉える意識を持たないと、物事を見誤ってしまうことにもなりかねません。