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2007年01月25日

●楽しい学校=生徒中心の学校

学校について考え始めると、いろいろなことが脳裏を駆けめぐる。

言葉だけを聞くと誤解されるかもわからないけど、
学校は「楽しいところ」でなければいけないと思っている。

生徒が生き生きと活動する姿が見られないなんて、学校じゃない。

生き生きとした活動があるからこそ、魅力的で
生徒にとって存在価値のある学校になっていくのだと思う。

4月、新入生が希望を胸に入学してくる。
みんなき生きとした表情をしている。
上級生とは明らかに違う、意欲に満ちた顔だ。

それが、どうだろう。一週間、二週間と日が経つにつれて、
しだいに生徒の表情からハツラツとした明るさが消えていく。
そして、5月の連休明けになると、「心ここに在らず」といった感じで、
嫌々ながら学校に通う生徒も出てきたりする。

そうこうしているうちに夏休みを迎え、それが終わり新学期が始まると、
もはや上級生との違いはなくなり、毎日、ただ何となく学校に来て、
言われたことだけを適当に済ませ、楽しみは全て学校の外~なんていう
生徒が目につくようになる。

どうして、こうなってしまうのか・・・。

決して、最初からそんなふうになるような生徒ばかりだというわけでは
ないはずだ。やはり、学校の雰囲気、すなわち我々教師自身が、
そういう生徒にしてしまっているに違いない。

その原因は・・・

おそらく、学校の体制、教師の姿勢、授業や課外活動への取り組み、
学校行事、その他諸々の要素が全て「教師中心(教師の都合)」で進められ、
「生徒中心」になっていないことにあるのだろう。

生徒には主体性を持てと言いながら、生徒が自分の意に添わないことを
したとすると、とたんにそれはダメだと否定する先生。
たとえそれが、生徒が一生懸命に考えた結果だとしても、一切お構いなし。
とにかく自分の考えや指導に合わなかったらダメなのだ。

それを「教師中心」と言わずして、何と言えばいいのか。

結局、それは自分の予想を超えるようなこと、自分の処理できる範疇
以外のことには、対応する自信がないので関わりたくないという、
教師の自分勝手な逃げの姿勢に他ならない。

ふだん生徒に、そういうことではいけないと言っていながら、
現実は自分が真っ先にそれをやっているのだ。

面倒なことは嫌、とにかく平穏無事に過ごせればいい・・・。
敏感な生徒が、それを感じないはずはない。

誰が考えても、生徒がすべてこちらの都合のいいように動いてくれないことは、
わかりきっている。予想もしないようなことが起こるのは当たり前だ。

生徒の成長というのは、そういったさまざまな活動の中で生じる出来事に
対して、教師と共に真剣に取り組んでこそ、初めて実現されることだ。

それを受け止めようともせず、教師が一番に逃げて、どうしようというのか。

あくまでも学校の中心(主人公)は生徒たちだ。
「生徒中心」という観点に立ち、我々教師の姿勢から学校全体に至るまで、
今一度、足下を見直すことが大切なのではないだろうか。

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コメント

またまた同感です。
うちの学校も今一番の問題は教師集団です。
うちは総合学科というシステムで、普通科の学校以上に1人1人の生徒たちと教師の深い関わりが必要になります。
しかし、そんな中上手に生徒と関われない先生や、関わろうとしない先生まで存在します。
そして、最後は生徒の責任に。
こんな状態をどう抜け出すかが最重要課題です。
学校が社会の批判にさらされ大変な時代だといいながら、その逆風を乗り切るための努力をしない教師にも問題ありです。

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