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2006年06月06日

●努力とは手続きである

昨日、紹介した心臓外科医・南淵明宏さんの著書
『釣られない魚が大物になる―手術職人の生き方論』から、
もう一つ引用しておこう。


私は「努力」という言葉が嫌いです。
いわゆる努力と言われているものは、多くの場合、単なる手続きだと思っています。

例えば英語を勉強するときに、英単語を覚える。
これは努力でもなんでもなく、英語を読むときの手続きであり、
必要な決まりを覚えることです。
野球のルールを知らなければ野球ができないのは当たり前です。
ラグビーの選手になりたい人が、ラグビーのルールを知っているのは当然です。
スポーツ選手がルールを覚えただけで「いやあ、よくがんばりましたねえ」
などとほめられるわけがありません。
英語の勉強もまったく同じでしょう。
そうした、なにかをやろうとしたときにその前提になること、
必要な手続きを踏むことが、努力だとはとても思えないのです。
数学の公式にせよなんにせよ、人に聞けば分かる、本を読めば分かる、
ホームページを調べれば分かるといった知識を得ることは努力とは言わないでしょう。

私は「『努力』という言葉は言い訳にすぎない」とも思っています。
それはなぜかと言うと、「私は努力している」という人は、経験上まず信用できません。
善意で解釈すればおそらく他人との比較で言っているのだと思います。
自分は他人より頑張っている、だから努力しているのだ、というわけです。

しかし、私はこうした主観的で曖昧な自己評価は、
100パーセント間違っていると考えています。
人問はどうしても自分中心に考えたがるもので、
そうした主観的な評価で「努力した」と言っても、自画自賛にすぎません。

私のところに来る患者さんを見ていると、
患者さんは死ぬか生きるかという孤独な戦いをしていることは分かります。
しかし、それでもやはり自分中心です。
つまり「自分はこの世でいちばん不幸だ」、と。
例えば、自営業の方だと、病気のために店を閉めなければならない、
サラリーマンはいいなあ、と言う。
そんなことないですよ、いまどき電話一本だけで勝手に休めるサラリーマンなんて
いませんから、と言うのですが、人はどうしても自分中心に考えてしまう。
あるいは「自分だけ特別だ」と思いたい。
それが悪いと言う気はありません。
自分が「他人に同じように見られている」とすると、それは変な言い方ですが、
美学があって「嫌だな、俺は他人とは違うそ」と思いたいものです。

同じように「忙しい」という言葉も私は大嫌いです。
忙しいという字は、心を亡くすと書きますが、「俺は忙しい」と自分で宣言することで、
その人が失う信頼は相当に大きいだろうと思います。
私は、自分で「忙しい」と周囲に漏らしている人で本当に忙しい、
本当に「いい仕事」をしている人を見たことがありません。
たとえ思っていても口に出してはいけない言葉が「忙しい」と「努力」だと思っています。
どちらも極めて主観的な言葉で、かつ他人との比較の上に成り立っている。
客観的に見て、そう形容できることもあるのでしょうが、
それでも少なくとも自分で言う言葉ではないと思います。

だから自分では断じて口にしないようにしていますし、
「お忙しいところ、申し訳ありません」なんて言われたら、
絶対に「いや、暇です」と答えるようにしています。
「仕事がたくさんあって大変ですね」と言われようものなら、
「ぼくはもう48歳ですよ。この歳になって仕事がなかったら、終わりじゃないですか」
と言い返します。

英単語を覚える、野球の素振りをする、
そんなことは誰にでも課せられた「手続き」であって、実際に誰もがやっていることです。
どうしてそんなことを「私はやっているんです。すごいでしょ!」と言えるのでしょう。
みんなが見えないところでやっている。
それを平然と「自分の方がやっている」と言えるのは、他人を尊重していないからでしょう。
いつも冷静に自分の姿を鏡に映してみることは非常に大切です。

別の言い方をすると、英語でコミュニケーションを取りたい、あるいは文章を書いて
人に読んでもらいたいから、英単語を覚えたり、文章の練習をするわけです。
例えば外国人と自在にコミュニケーションを取っている人を見て「かっこいい!」と思う、
自分もそうなりたいと思う。
文章を書いて新聞に載せたい、あるいは本を出したいと思う。
そうした欲望がベースにある。
その欲望があれば何も考えず、人のことなどどうでもよくなって、
自然に「単語を覚える」という関門をくぐっていくでしょう。
当たり前の話です。

野球でレギュラーになりたい、甲子園に出たいと思うから、素振りをする。
何度も何度もバットを振る。でもそれは努力ではないのです。
自分の欲望を満たしたいからであって、その欲望がどれくらい強いかによって、
素振りが3回で終わるか1000回続くかが変わってくるだけです。


うむ・・・同感。大いに共感しました。
ほんとうにその通りだと思います。納得です!

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コメント

う~~ん、これは面白かった。
いつもこのブログ拝見しています。

そうですね、努力じゃないですよね。好きだからやるんですよね。人のことどうでも良いですよね。

この頃、気合いが入っていて楽しそう?

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